君が代を「歌わない自由はない」か?


 〈問い〉 香川県高松市の教育長が十六日、市議会で、君が代を歌わない自由があるかとの質問に、「教師と生徒については、歌わない自由はないものと考えます」とのべました。どう考えますか。(香川・一読者)

 

 〈答え〉 国旗・国歌法は、第一条で「日の丸」を国旗とし、第二条で「君が代」を国歌と定めただけで、国民にたいして日の丸を掲げたり君が代を歌うことを義務づけたものではありません。もちろん国民に強制できないことを、教育現場で押しつけてよい道理はありません。教師や生徒が、君が代の由来や歴史、歌詞の意味を授業で教えたり学んだりしても、君が代を歌うか歌わないかは一人ひとりが自由に選択すべきことです。

 もともと自分の国の国歌はどのようなものがいいかといった問題は、国民一人ひとりの価値観や考え方にかかわる問題、内心の自由に属する問題です。君が代は侵略戦争のシンボルとして使われた歴史をもっており、政府の解釈による君が代の歌詞の内容が憲法の主権在民の原則に反し、国歌にふさわしくないという意見もあります。それを無理に歌わされることは自分の心に背くことになります。

 憲法は「思想及び良心の自由」いわゆる内心の自由は「これを侵してはならない」と定めています(第一九条)。国旗・国歌法案の国会審議では、日の丸・君が代の強制は内心の自由の侵害になることを政府も認めざるをえませんでした。

 「歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させるというようなことになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないということにかかわってくる」(文部省の辻村哲夫初等中等教育局長=当時、七月一日の衆院内閣委員会)、「実際に子供は歌わなかった、あるいは起立しなかったということに伴って、その後何らかの心理的な強制、あるいはそれによる不利益というようなものをこうむることがあれば、それは内心の自由を侵害するというようなケースと判断される」(御手洗康初等中等教育局長、七月三十日の参院特別委員会)。

 子どもにも教職員にも君が代を歌わない自由があり、「踏み絵」を踏ませるような行為は「指導」の名によっても許されません。(絹)

〔1999・9・27(月)〕



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