2001年1月24日(水)「しんぶん赤旗」
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<問い> 司法改革の問題に関連して、裁判に陪審制や参審制をとり入れるべきだという意見があります。日本共産党はどう考えますか。外国の実情も知りたいと思います。 (京都・一読者)
<答え> 陪審制や参審制は、主権者である国民が裁判に参加する制度として積極的な意義をもっています。
陪審制というのは、一般の国民から選ばれる陪審員同士の討議によって刑事事件では有罪か、無罪かを、民事事件では結論をきめ、裁判官はそれにしたがうものです。参審制は、国民から参加する素人の参審員が職業裁判官とならんで裁判に参加し、判決にも関与するものです。国民の司法参加のやり方としては、陪審制のほうが徹底しているといえます。
陪審制では法廷に出された証拠と証言による集中審理がおこなわれますから、国民の常識にかない、刑事裁判での自白偏重が改められ、行政にたいするチェック機能の強化や裁判の迅速化などが実現できるでしょう。
陪審制はヨーロッパで古くから発達し、イギリスやアメリカなどで定着しています。参審制はフランス、ドイツなどで実施されています。
いま、司法制度改革審議会で国民の司法参加の方策が議論され、日弁連をはじめ、多くの市民や団体が陪審制を求める声をあげています。これにたいし、最高裁などは、日本には陪審制の導入の条件がないと否定的です。しかし、この意見は結局、国民が主権者であることを無視し、国民の健全な判断能力を信頼しないものです。
戦前、日本も刑事裁判での陪審制が一九二八年から実施され、その審議の内容は高く評価されています。この陪審制は太平洋戦争のため一時停止され、今日にいたっています。戦後、検察官のおこなった不起訴処分にたいする審査機関として、有権者が無作為に選ばれてたずさわる検察審査会制度が導入され、国民の良識にもとづく判断をしめし、適切に運用されてきました。
このように、わが国でも国民参加の陪審裁判を実現する条件は十分ととのっています。(光)
〔2001・1・24(水)〕
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