2001年6月20日(水)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 靖国神社と千鳥ケ淵墓苑は、どう違うのですか。また無名戦士の墓というのは、どういうものですか。(兵庫 T・K)
〈答え〉 東京・九段の靖国神社は、戦前は国家と宗教が結合した国家神道(しんとう)の体制下、陸軍省と海軍省が共同で管理(一八八七年以後)する軍事的宗教施設でした。「天皇のため名誉の戦死」をしたものを祭神(「英霊」)としてまつり、国民に「九段の桜花と散る」ことを誓わせ、軍国主義と侵略戦争推進の精神的支柱の役割を果たしました。
戦後、この歴史の反省の上に政教分離の原則をうたった新憲法がつくられ、靖国神社は都知事認証の私的な宗教法人となりました。神社という宗教施設であることは変わりません。同神社は、一九七八年、侵略戦争推進の責任者のA級戦犯が合祀(ごうし=一緒にまつられる)されるなど、軍国主義と侵略戦争を美化し、憲法の恒久平和の精神に反する実態となっています。欧米のマスコミは、同神社を「戦争神社」(ウオー・シュライン)と特徴づけています。日本を「戦争する国」に変えようとする勢力は、戦死者が出た場合に備え、信教の自由と政教分離の原則を踏みにじる靖国神社への首相の公式参拝、さらに同神社の国営化をねらっています。
これにたいし、東京・千鳥ケ淵墓苑は、名前の特定できない戦没者の遺骨を納める国立の無宗教の墓苑です。戦後、政府と民間団体が海外各地で収集した戦没者遺骨のうち引き取り手のない遺骨は、厚生省が保管していました。無名の遺骨は増え続け、収納施設が必要になりました。靖国神社側は、同神社と関係のない納骨施設ができると神社の衰退につながるとして反対しましたが、五九年三月、無宗教の千鳥ケ淵戦没者墓苑ができました。現在、墓苑は、環境省が管理し、諸外国の「無名戦士の墓」(メモリアル・パーク=共同墓地)と同様の性格です。
東京・青山の解放運動無名戦士墓の「戦士」とは「平和と民主主義を守るたたかいに参加した人」をさしており、一九三五年に建てられました。現在は、日本国民救援会が管理する革新陣営の共同の墓です。(平)
〔2001・6・20(水)〕
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