2001年11月18日(日)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 憲法二五条を根拠に生存権の保障を求めた「朝日訴訟」とはどのような訴訟だったのですか。 (東京・一読者)
〈答え〉 一九五七年八月から始まった「朝日訴訟」は、岡山県にある療養所の重症の結核患者で、日本共産党員でもあった朝日茂さんが、生存権の保障をもとめて、生活保護行政の抜本的改善を要求したたたかいです。
朝日さんは、当時、生活保護法による医療扶助と生活扶助を受けていましたが、その水準は、月六百円で、肌着二年に一着、パンツ一年に一枚、ちり紙一月に一束というものでした。さらに、担当の福祉事務所は、長期に音信不通だった朝日さんの実兄に仕送りを求め、千五百円の仕送りのうち六百円しか朝日さんに渡さず、残りの九百円を収入とみなして国庫に納入させました。
これにたいして朝日さんは、厚生大臣を相手に、日用品費が不足であり、患者が生命と健康を守るために必要なバターや卵、果物などの補食費も認めないのは、すべての国民が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有し、「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進」にたいする国の責務をうたった憲法二五条と生活保護法に違反すると訴えました。
この裁判は、“人間裁判”と呼ばれ、思想・信条をこえた広範な団体や国民に支えられました。
六〇年には東京地裁で、憲法二五条にいう「健康で文化的な生活」は、国民の権利であり、国は国民に具体的に保障する義務があること、それは予算の有無によって決められるのではなく、むしろこれを指導支配しなければならないという判決が下され、ほぼ完全に勝利しました。
この訴訟は、朝日さんの死去で反動的な判決をもって結審しますが、保護費の引き上げなどの改善をかちとり、その後の社会保障のたたかいにはかりしれない影響を与えました。(学)
〔2001・11・18(日)〕
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