2002年3月3日(日)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 千島問題への日本共産党の立場は政府の「四島返還」とは違うと聞きましたが、どうしてですか。 (佐賀・一読者)
〈答え〉 千島問題では日本共産党は、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の南千島と得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島の、全千島返還を求めています。また北海道の一部である歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)は平和条約成立以前にも、必要なら中間的条約を結んで返還すべきだと主張してきました。
日ロ領土問題解決の出発点とすべきなのは一八七五年の「樺太・千島交換条約」です。一八五五年の「日魯通好条約」は、国後、択捉を日本領とし、樺太(サハリン)島上の国境を未画定とする、いわば中間的条約でした。全千島列島の日本帰属を定めた「交換条約」が、日ロ間で平和的に領土を画定した最終的条約であり、千島全島が日本の領土である根拠となります。
ところがソ連のスターリンは米、英とのヤルタ会談で、対日参戦とひきかえに千島のソ連引き渡しを密約しました。他方、日本が米国などと結んだサンフランシスコ講和条約は二条C項で千島放棄を宣言しています。同条項はヤルタの密約と同様、第二次世界大戦の戦後処理原則を示したカイロ宣言の「領土不拡大」の原則や同宣言「履行」を明記したポツダム宣言などにてらしても、不当なものです。
政府は、この二条C項に固執して「択捉・国後の南千島は千島列島でない」という、国際的に通用せず、条約調印時の政府言明にも反する論立てで交渉し困難と矛盾を深めています。
領土問題では、歴史や法に照らして筋の通った、国際的に通用する道理ある立場に立つことが大切です。サ条約二条C項を不動の前提にせず、ソ連の無法な領土占有と、これを追認した誤った戦後処理を正す立場でのぞむことが必要です。
なお平和条約は、交戦国間の戦後国境を画定する条約であり領土問題解決まで結ぶべきではありません。
(清)
〔2002・3・3(日)〕
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