日本共産党

2002年2月28日(木)「しんぶん赤旗」

3・1独立運動とは?


 〈問い〉 戦前の朝鮮半島で起こった三・一独立運動とは、どんな運動だったのですか。(兵庫・一読者)

 〈答え〉 三・一独立運動とは、一九一九年三月一日のソウルでのデモ行進をきっかけに、朝鮮半島全体に広がった、日本の植民地支配からの独立を求める大衆的な示威運動です。

 三月一日、ソウルのパゴダ公園(塔洞公園)で集会が開かれ、朝鮮の独立と朝鮮人民が自由民であることを宣言した「朝鮮独立宣言書」が読み上げられました。この「独立宣言書」には日本の留学生の運動も影響を与えています。そして「独立万歳」の叫びとともにデモの隊列がソウル市内に繰り出しました。当時ソウルには、かつて韓国皇帝だった高宗の葬式に参加する人々が集まっており、これらの人々も合流して行進は数十万人にふくれあがりました。その後五月まで各地で大規模なデモ行進などが展開され、参加者は百万人とも二百万人ともいわれます。

 日本の天皇制政府は、憲兵や警察、軍隊を動員して発砲など武力で弾圧し、武装した民間人も刀剣などでデモ行進に襲いかかり、多くの人々が虐殺されました。村人らを教会におしこめて、銃撃したうえ放火し殺害した「堤岩里事件」などはその一例です。故郷で集会を組織し十六歳で獄死した、ソウルの梨花学堂(現在の梨花女子大学)の女子学生、柳寛順など多くの犠牲者が語りつがれました。

 日本は一八七六年、武力による威嚇で朝鮮に不平等条約をおしつけると、王妃の閔妃虐殺など内政干渉をし、朝鮮が一八九七年に国号を大韓としてからも、「保護条約」おしつけで外交権などを奪い、一九一〇年にはソウルを軍隊で包囲し、併合条約調印を迫って韓国を併合して、朝鮮総督府を置きました。三・一独立運動を弾圧した後も、一九四五年まで植民地支配を続けました。

 現在、パゴダ公園には、三・一運動を描いたレリーフが置かれています。

〔2002・2・28(木)〕

 


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