日本共産党

2002年3月24日(日)「しんぶん赤旗」

劣悪な社会保障の代名詞
「救貧法」とは?


 〈問い〉 日本の社会保障の劣悪さや歴代自民党政権の社会保障切り捨て政策をさして「救貧法的だ」のように使われる、「救貧法」とはどんな法律だったのですか。 (大阪・一読者)

 〈答え〉 救貧法とは、封建制社会が解体し資本主義社会に移行する時期に、土地を失った農民らが浮浪民となるのを取り締まるためにつくられた法律です。典型的な形では、労働能力のある人は労役場などで強制的に働かせ、ない人には権利制限などを伴う生計費補助をします。生計の道を失った人を犯罪者のようにあつかうなど封建的な限界をもちますが、一揆や暴動をおそれた支配者の譲歩でもあります。二十世紀に人類がかちとった生存権・社会権や社会保障制度は、救貧法の限界をのりこえる運動の成果です。

 イギリスでは十五世紀末ごろから土地を失った農民らが社会にあふれ、十六世紀のヘンリー八世の救貧法をはじめ、類似の法律が何度もつくられます。浮浪民の身体に焼印をおしたり、耳を切る、絞首刑にするなどの強圧策で賃労働を強制し、「血の立法」とよばれました。

 エリザベス女王時代の一六〇一年救貧法もこの流れのものですが、救貧税を財源とし、労働能力のある人の就業強制と、ない人の救済事業をあわせておこなう体系を確立した、最初のものとして知られます。同様のしくみは十九世紀になっても続いていました。

 日本では一八七四年の「恤救(じゅつきゅう)規則」が救貧法にあたります。恤救とは「たすけあわれむ」などの意味で、労働能力がなく、極貧で扶養者のない人に、五十日以内に限りわずかな現金を給付しました。これに代わる一九二九年の「救護法」は貧困者への国の公的扶助義務などをうたいましたが、労働能力のある人は対象外など依然として救貧法的でした。

 現在、憲法二五条は国民の生存権と国の社会保障増進義務を明記しています。「自立自助」と国民に負担を押し付け、国の責任を放棄するのは救貧法時代に歴史の針を押し戻そうとするものです。

(博)

〔2002・3・24(日)〕

 


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