2002年4月3日(水)「しんぶん赤旗」
〈問い〉 最近の報道で「よど号事件」というのを目にしたのですが、どんな事件だったのですか。(東京・一読者)
〈答え〉 日本人女性を欧州から北朝鮮に拉致した事件で出てくる「よど号事件」とは、一九七〇年三月三十一日、羽田空港発の日航機「よど号」が、飛行中に日本刀や爆弾で武装した九人の赤軍派にハイジャックされた事件です。
同機は自衛隊や韓国軍、米軍などが連係した偽装作戦で、同日、韓国ソウル近郊の金浦空港に着陸させられます。四月三日、乗客らを解放した同機は北朝鮮の平壌に進入し着陸。赤軍派は不法入国者として取り調べられ、機長らと日航機は人道的に帰されました。
当時、「左翼」をよそおいつつ凶器で武装し、日本共産党や革新・民主的な運動に参加する諸団体に蛮行をくり返す挑発者、テロ集団が乱立し、旧ソ連の正規軍・「労農赤軍」の名をかたった赤軍派はその中でもっとも暴力的な一派でした。
自民党政府や治安当局、財界などは、こうしたテロ集団を、日本共産党を攻撃する策動に利用するため、情報の授受や資金提供など、便宜を与える「泳がせ」政策をとってきました。当時の国会で警察庁が、この赤軍派にも多くの「協力者」を持っていたと答弁しています。
事件の発生前の七〇年一月段階から、赤軍派の三月ハイジャック計画を報道した週刊誌があるなど事前情報が流布していました。
日本共産党は当時、テロ集団を泳がす政府を批判し、蛮行再発を許さないためにも、「泳がせ政策」をただちにとりやめるよう要求していました。
日本は当時韓国と国交回復しましたが、北朝鮮とは断絶のまま協議の場もなく、着陸をめぐり緊迫した場面が続きました。
犯人らはその後北朝鮮に住みリーダー格、田宮高麿らが死亡。タイで収監された一人は二〇〇〇年に日本に送還、起訴されました。〇一年に三人の娘、一人の妻が帰国しています。
(清)
〔2002・4・3(水)〕