長野・木曽町長に田中氏
“旧町村の良さ生かす人”
住民参加で合併後の町づくりへ
2005年11月29日(火)「しんぶん赤旗」
当選を決め支援者らと握手する田中勝己氏=27日午後9時30分、長野県木曽町 |
「児童手当や小児医療費拡大は感謝してます。田中さんが町長になって本当に良かった」と言うのは、支持者のNさん。「木曽福島町は、道や街並みが整備され、きれいになりました。新しい町では、観光と子育てしやすい環境の両立を目指してほしい」と期待を込めます。
田中氏は木曽福島町議を八期務め、一九九八年に木曽福島町長に初当選し、二期七年七カ月を務めました。その間、木曽福島町、日義村、開田村、三岳村の合併協議会の会長として、各村長や議会と協力して合併を成功させ、木曽町の初代町長となったのです。
田中氏は、「合併してよかったといえる町にするため、『町づくり条例案』を十二月議会に提案し、旧町村ごとの『地域自治組織』をつくり、住民参加で町づくりを進めたい」と新町の具体化に取り組む意気込みを語ります。
■政党を超えた支持
町長選には、田中氏のほか元県職員(60)が立候補。一騎打ちの激しい選挙戦となりました。合併に携わった旧町村の村長や議員らが、田中氏支持を表明し、政党を超え、各界各層の幅広い支持を得ました。
「国政レベルで保守派として貢献してきた人たちを町政レベルで取り込み、田中陣営は選挙が上手だった。敵ながらあっぱれ」。対立候補陣営の選対幹部が、開票状況を見守った旅館の広間でお茶を片手に言いました。
選挙期間中、相手陣営から、田中氏が共産党籍を有することについて、応援に立った弁士らが「党籍がありますが無所属で立候補する。党籍をかくして、有権者を愚弄(ぐろう)している」などと反共攻撃を行い、票の切り崩しもありました。
田中氏の陣営は、「町長選は、全町民の代表にふさわしい人を選ぶもので政党を選ぶものではない。幅広い住民の支持を受けた場合、無所属で出るのが自然」と反論。これまで住民が主人公の立場で公平な町政を進めてきた田中さんに対し、幅広い住民が支持しました。
田中氏の後援会会長(73)は、「私は、共産党はあんまり好きじゃないけれども、みんなは田中勝己が好きで応援したんだ。合併で福島だけが発展するのを心配している。周辺が取り残されないために幅広くものを考えている彼が町長に必要だったわけだ」。
■観光の振興も
田中氏は七年前に初当選後、町民参加で町づくりを進め、二年かけ総合計画を作成し、中心市街地活性化委員会も発足させました。木曽川沿いの「足湯」、木曽福島関所跡や山村代官屋敷跡の整備など観光の振興を中心にすえ、「寂れてゆく町が元気になった」と若い世代からも声が上がります。
四町村合併後の町づくりは、調整項目も残されています。木曽福島で、町民が町長に直接話をし、要望等を求めることができた「あいてます町長室」を新町でも継続。広い町内を町長が出張する「出前町長室」などを行い、住民の意見やアイデアを生かすことを公約に掲げました。四町村それぞれの立場や地域性を生かしてくれる人、歴史も伝統も異なる四町村を一つにまとめられる公平な人は田中さん、との思いが広がりました。
田中氏は「観光開発を中心に、活気ある町、町民にやさしい町づくりを目指し、行政と住民が一体で、町が元気になるような観光計画をつくりたい。四町村を団結、融和を図り一つの町をつくっていきたい」と展望を語ります。