2000年11月24日
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日本共産党第22回大会決議より抜粋
(1)国会に憲法調査会が設置され、改憲勢力は、この場を利用して、憲法改悪にむけた策動を強めている。憲法問題は、二十一世紀の日本の進路をめぐる、進歩と逆流のたたかいの重大な焦点となっている。
日本共産党は、当面の日本の民主的改革において、憲法の進歩的条項はもとより、その全条項をもっとも厳格に守るという立場をつらぬく。この立場は、わが党が野党であっても、政権党になったとしても、同じである。わが党がめざす民主連合政府は、政府として、憲法第九九条にもとづいて現行憲法を尊重し、擁護する立場にたつ政府である。天皇制についても、いまわが党がもとめているのは、憲法で定められた国政への不関与(第四条)、国事行為の範囲の限定(第六・七条)などを、厳格に守ることである。
二十一世紀の日本の未来を、より大きな視野で展望したときに、社会の発展にともなって、憲法も国民の総意にもとづいて発展することは、当然のことである。天皇制も、国民主権との矛盾をはらんだ存在として、永久不変の制度ではありえない。
同時に、わが党は、現憲法の五つの進歩的原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治――については、将来にわたってこれを守り、その全面実施をもとめていく。
これらの諸原則は、二十世紀の世界史の進歩的流れをふまえ、それを発展させた先駆的価値をもつものであり、二十一世紀の日本の民主的な国づくりの羅針盤になりうるものである。わが党の「日本改革」の提案と、憲法の五つの進歩的原則の完全実施とは、ともに重なりあう内容と方向をもっている。
(2)憲法をめぐるたたかいでは、第九条が最大の焦点となっている。改憲派は憲法のその他の条文についても、あれこれの問題点を指摘しているが、その一番のねらいは、九条をとりはらうことであり、この一点にあるといっても過言ではない。改憲のくわだてとむすびついて、軍国主義的な思想・潮流の動向が強まっていることも重大である。
憲法九条をとりはらおうという動きの真の目的は、アメリカが地球的規模でおこなう介入と干渉の戦争に、日本を全面的に参戦させるために、その障害となるものをとりのぞくところにある。
昨年強行された戦争法は、そのための仕組みをつくろうとするものであった。しかし、九条があるために、戦争法においても、「自衛隊が海外で武力行使を目的に行動することはできず、その活動は後方地域支援にかぎられる」ということを、政府は建前にせざるをえなかった。政府が「後方地域支援」とよんだ兵站(へいたん)活動は、戦争の一部であり、政府の建前はごまかしである。同時に、なお九条の存在が自衛隊の海外派兵の一定の制約になっていることもまた事実である。
戦後、日本は、一度も海外での戦争に武力をもって参加していない。これは、憲法九条の存在と、平和のための国民の運動によるものである。憲法九条は、戦後、自民党政治のもとで、蹂躙(じゅうりん)されつづけてきたが、自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化にとって、重要な歯止めの役割をはたしてきたし、いまなおはたしている。この歯止めをとりのぞき、自由勝手に海外派兵ができる体制をつくることを許していいのか。これが憲法九条をめぐるたたかいの今日の熱い中心点である。この点で、九条改憲に反対することは、自衛隊違憲論にたつ人々も、合憲論にたつ人々も、共同しうることである。
日本共産党は、憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずくことを、心からよびかける。
(3)憲法九条と自衛隊の関係をどうとらえ、その矛盾をどのように解決していくかという問題は、二十一世紀の日本にとって重要な問題である。
憲法九条は、国家の自衛権を否定してはいないが、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」を放棄するだけでなく、「陸海空軍その他の戦力を保持しない」として一切の常備軍をもつことを禁止している。ここまで恒久平和主義を徹底した憲法は世界にほとんど例がない。憲法九条は、戦争の違法化という二十世紀の世界史の大きな流れのなかで、もっとも先駆的な到達点をしめした条項として、世界に誇るべきものである。
その値打ちは、昨年、オランダのハーグでおこなわれた世界市民平和会議での「行動指針」が、各国議会に「憲法九条のように戦争放棄宣言を採択すること」をよびかけるなど、いま世界でも見直されつつある。それは二十一世紀にむけてわきおこりつつある平和と進歩の国際的な流れを反映している。二十一世紀は、軍事力による紛争の「解決」の時代でなく、“国際的な道理にたった外交”と“平和的な話し合い”が世界政治を動かす時代になる。この新しい世紀には、憲法九条の値打ちが、地球的規模で生きることになる。とりわけ平和と進歩の力強い潮流がわきおこりつつあるアジアでは、憲法九条の値打ちは、いよいよ精彩あるものとなるだろう。
憲法九条にてらすならば、自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである。世界でも有数の巨額の軍事費をのみこみ、最新鋭の現代兵器で武装した軍隊を、「戦力ではない自衛力」などといってごまかす解釈改憲は、もはや到底なりたたない。
それでは、憲法九条と自衛隊の現実との矛盾をどう解決するか。わが党は、改憲派がとなえるような自衛隊の現実にあわせて九条をとりはらうという方向での「解決」ではなく、世界史的にも先駆的意義をもつ九条の完全実施にむけて、憲法違反の現実を改革していくことこそ、政治の責任であると考える。
この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である。
――第一段階は、日米安保条約廃棄前の段階である。ここでは、戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である。また世界でも軍縮の流れが当たり前になっている時代に、軍拡に終止符をうって軍縮に転じることも急務となっている。
――第二段階は、日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階である。安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題であり、自衛隊解消の国民的合意の成熟は、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成されていくというのが、わが党の展望である。この段階では、自衛隊の民主的改革――米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題になる。
――第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階である。独立・中立の日本は、非同盟・中立の流れに参加し、世界やアジアの国々と、対等・平等・互恵の友好関係をきずき、日本の中立の地位の国際的な保障の確立に努力する。また憲法の平和原則にたった道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する。この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消にむかっての本格的な措置にとりくむ。
独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である。
自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。
そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。
(4)憲法の、人権や民主主義に関する規定を、政治に生かすとりくみも重要である。
わが国の憲法では、人権について三十条にわたる規定がもりこまれている。そこには政治的権利とともに社会的権利が明記され、全体として世界でも先駆的な豊かな人権規定となっている。ところが自民党政治のもとで、この人権規定が生かされず、つぎの諸問題をはじめ、あらゆる分野で踏みにじられてきた。
――第一四条・二四・四四条では、社会的にも、家庭でも、政治参加の面でも、「男女の同権・平等」を詳細に規定しているが、男女賃金格差など労働条件一つとってもこれが生かされたとはいえない現状がある。政治参加も世界の水準にはるかに遅れている。
――第一九条では、「思想及び良心の自由」が保障されているが、政党助成法、「日の丸・君が代」の強制など、内心の自由を侵す政治が横行している。
――第二一条では、「通信の秘密」を保障しているが、それをまっこうから蹂躙する盗聴法が強行された。
――第二五条では、国が「社会保障の増進」の責任をはたすことを義務づけているが、社会保障への国の支出を抑制・削減する政治がつづけられている。
――第二七条では、「国民の勤労権」「労働条件を法律で決める」などをのべているが、残業時間一つとっても法律での規制がないなどの現実が放置されている。労働法制の全面改悪がすすめられていることも重大である。
――第二九条の「財産権の保障」は、もっとも古くからある人権規定だが、米軍用地特別措置法の改悪などは、これを蹂躙するものだった。
わが国の憲法の先駆的で豊かな人権規定を、暮らしに生かす政治こそ、いま強くもとめられているのである。
「環境権」「知る権利」「プライバシー権」など、“新しい人権”をどう位置づけるかが問題とされている。これらは、憲法の人権規定をふまえて、国民の運動によって発展的に生みだされてきた権利であり、第一三条の「幸福追求権」など現憲法の人権規定によって根拠づけられるものである。憲法は、“新しい人権”にも対応できる、懐の深い構造をもっている。これを改憲論の“入り口”として利用し、九条改憲を“出口”とする方向に、世論を誘導しようという議論には、まったく道理がない。
リストラ・人べらしにたいし、確立した判例であった「整理解雇の四要件」をくつがえす判決が相ついでいる。司法の反動化を許さず、陪審制など国民の司法参加、裁判官の選任方法や法律扶助制度の改善など、司法制度の民主的改革を実現することは、国民の人権を守るうえで重要である。
議会制民主主義をめぐって、政権党が、党利党略で、選挙制度を改悪する動きを、臆面(おくめん)もなくくりかえしていることは重大である。小選挙区制・比例代表並立制のもとで、民意を反映する比例代表の定数を削減するという暴挙が、政権与党の“数の暴力”によって強行された。参議院の比例代表の選挙制度を、「非拘束名簿式」に改変するという政権与党のくわだても、政党選択というこの制度の土台を根底から崩す、むきだしの党利党略の動きである。民主主義に逆行する選挙制度の改悪を許さず、小選挙区制撤廃を軸にした選挙制度の民主的改革をかちとることは、ひきつづき重要な課題である。
企業献金は、大企業の金の力で政治をゆがめ、憲法に保障された国民の参政権を侵害するものである。この間の一連の汚職事件を通しても、企業献金が政治腐敗の根源であることは、いよいよ明瞭である。政府与党は、二〇〇〇年一月から政党への企業献金を見直すとした政治資金規正法の規定すら無視して、企業献金をもらいながら、政党助成金も二重どりするという姿勢をつづけている。わが党は、企業献金禁止、政党助成金撤廃を身をもって実行している唯一の党として、この政治腐敗の根源を日本の政界から一掃するために、ひきつづき力をつくす。
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