衆院本会議

志位委員長の代表質問

2001年5月10日(木)

 日本共産党の志位和夫委員長が十日、小泉首相の所信表明演説にたいして衆院本会議でおこなった代表質問(大要)は次の通りです。


 日本共産党を代表して、小泉首相に質問します。小泉首相は、「いまの自民党ではだめ」「自民党を変える」と叫んで、自民党総裁となり、首相となりました。しかし、自民党政治のどこをどう変えるのか。「改革」とは看板だけで、中身は、古い危険な自民党政治そのままではないのか。

 私は、それをいくつかの角度からただすとともに、「ほんとうの改革をいうなら、こうあるべき」という日本共産党の立場を明らかにしたいと思います。

首相交代でうやむやにされてはならないこと――
KSD汚職と機密費問題

 はじめに、首相交代でうやむやにされてはならない二つの重大問題についてうかがいたい。

 一つは、KSD汚職の問題です。わが党の追及で、五十四万人の幽霊党員と二十一億円の党費肩代わりの実態が明らかになりました。しかし、森前首相は、「調査する」といいながら、最後までその結果は明らかにしませんでした。

 首相は、総裁選での発言で、「KSD問題を反省しなければいけない。立て替え党費が現実にあった」「積極的な真相解明をおこなう」とのべました。

 それではうかがいますが、あなたは、自民党新総裁に就任して、党費肩代わりについてどういう調査をやりましたか。真相を全面的に国民に明らかにする意思がありますか。KSD汚職とは、金の力で政治をゆがめた事件でしたが、これを「反省」するというのなら、あらゆる政治腐敗の根本にある企業・団体献金の禁止にふみきるべきだと考えますが、いかがですか。

 いま一つは、機密費の問題――内閣官房と外務省で、七十二億円もの税金が、国会対策やせんべつ、飲み食いに使われていたという問題です。わが党は国会に、一九八九年の消費税導入のさいに十億円の機密費が使われたと明記されている内閣官房文書と、その作成者が古川内閣官房副長官であることを明らかにした筆跡鑑定書を提出しました。

 これらが偽りだというのなら、それを証明する責任は政府の側にあります。新内閣として、これらの文書を真剣に吟味し、機密費の党略的流用の全ぼうを国民に報告すべきではありませんか。

 古川副長官は留任し、当時、内閣官房文書の引き継ぎをうけた塩川氏は財務大臣として入閣しました。その気になればすぐに調べられることです。

 首相が「解党的な出直し」をいうなら、まずこの二つの疑惑について、国民に納得のいく説明をすべきであります。答弁をもとめます。

「構造改革なくして景気回復はない」というが――
破たんした路線への反省はないのか

 首相は、所信表明演説で、「構造改革なくして景気回復はない」とのべました。しかし、問題は、「構造改革」といわれている政治の中身であります。

 第一に、これまで「構造改革」の名でやられてきたことは何か。

 今日の不況の深刻化、長期化の最大の原因は、日本経済の六割をしめる個人消費、家計消費の冷え込みにあります。

 とくに一九九七年以降の落ち込みは、大変なものがあります。この間、勤労者世帯の可処分所得は月額で二万四千円減り、一世帯あたりの消費支出は月額で一万六千円減り、完全失業者は百二十四万人増えました。

 そのきっかけになったのが、「構造改革」を看板にしておこなわれた九七年の九兆円負担増――消費税増税、医療費値上げをはじめとする負担増政策でした。それが、わずかな景気回復の芽をつんで、日本経済を大不況におとしいれたことは、いまでは明らかではありませんか。首相は、この負担増政策を強行した橋本内閣で、厚生大臣をつとめ、共同責任を負っているわけですが、この経済失政への自覚と責任は感じないのですか。

 結局、これまで「構造改革」の名でおこなわれてきた政策は、国民生活を痛めつけ、日本経済を大不況につきおとした、すでに破たんが証明された政策ではありませんか。

 しかも首相が、当時、厚生大臣としてすすめたことが、今日、国民の健康と生命を脅かす深刻な事態をつくりだしていることを、私は指摘したいのです。

 九七年九月から強行された健康保険の本人負担の一割から二割への引き上げによって、外来の患者さんの数が一二・四%も減ったことが、厚生労働省の最近の調査でも明らかになっています。

 首相が、道筋をつけ、今年一月から強行されたお年寄りの医療費の一割定率負担によって、深刻な受診抑制と治療中断がおこったことが、全国保険医団体連合会の調査でも明らかになっています。「負担増は死活問題だ。わしはもう死んでもいいから、病院にこないよ」――こうした悲痛な声を残して、負担増の心配から多くの人々の足が病院から遠のいています。首相は、所信表明演説で、国民に「痛みに耐える」ことを訴えましたが、このような必要な医療の抑制も、国民が甘受すべき「痛み」だと考えているのか、答弁ねがいたい。

「不良債権の早期最終処理」――
国民生活犠牲とともに、日本経済を破局に導く

 第二に、いま首相が、「構造改革」としてすすめようとしていることは何かという問題です。

 首相は、その最優先の課題として、「不良債権の早期最終処理」をあげています。問題は、これが日本経済にどのような影響をおよぼすかということです。

 今日、不良債権といわれているものの大多数は、バブル時代の乱脈融資が原因ではなく、まじめに働いてはいるが、景気の後退によって売り上げが減り、計画的な返済が困難になっている中小企業です。

 不良債権が景気を悪くしているのではなく、景気が悪いから不良債権が増えているのです。このことは、九二年度から今日まで、総額で六十八兆円もの不良債権を処理しながら、不良債権額は十三兆円から三十二兆円へと逆にふくらんでいることからも明らかではありませんか。

 したがって、実体経済を回復させること、とくにその主力である家計消費をあたためることを最優先してこそ、いま経営困難に陥っている中小企業の売り上げも回復し、不良だった債権が正常にもどる道が開かれるのではないでしょうか。

 それぬきに、二年ないし三年という期限をきめて、一気に「不良債権の最終処理」をやったらどうなるか。「最終処理」とは融資を打ち切り、資金を回収するということであり、生きて働いている会社をつぶすことです。これが大倒産と大失業の激化につながることは明らかです。ニッセイ基礎研究所の試算では、新たに百三十万人の失業者が生まれ、六兆八千億円の雇用者所得の減少が生まれるとされています。

 いったい首相は、この政策を強行したさいに、どれだけの失業者が生まれると見込んでいるのですか。職を失った人に仕事を確保するためのいかなる具体的な方策をもっているのですか。このやり方では、景気をますます悪化させ、そのことによって、肝心の不良債権も減るどころか、ますます増えることになるのではありませんか。

 首相は、「いま痛みに耐えれば、明日はよくなる」といいますが、私は、「構造改革」の名で国民に痛みをしいる政治こそが、今日の経済危機をいっそう深刻にし、明日の希望をも国民から奪うものであることを、強く警告したいのであります。

家計を直接あたためる対策を――
日本共産党の三つの提案

 これまでの政府の経済政策の基本的立場は、「企業の収益があがれば、いずれは家計の消費も回復する」というものでした。しかし、政府の「緊急経済対策」でも、「企業部門の復調にもかかわらず、所得・雇用環境の改善は遅れ、個人消費の回復は見られていない」とのべるなど、その破たんはいまや明らかです。

 そうであるならば、大銀行・大企業応援の従来型の経済対策から、国民の家計を直接あたためる経済対策への転換が、いまこそ必要であります。日本共産党は、そのために「緊急経済提言」を発表し、三つの転換をよびかけています。

 第一は、国民の購買力を直接応援する減税政策であります。わが党は、今日の深刻な家計消費の冷え込みを打開するもっとも効果的な方策として、消費税を三%に引き下げる五兆円減税を緊急に実施することをもとめるものであります。

 第二は、今年実施・計画されている社会保障の負担増・給付カットの計画――介護、年金、医療、雇用保険の四つの分野で合計三兆円規模におよぶ負担増計画を凍結し、凍結期間中に、国民が安心がもてる社会保障の体系を、国民の合意でつくることであります。

 また、介護保険は、高すぎる利用料・保険料のために、所得の少ない人々が、泣く泣くサービス低下を余儀なくされる事態が広がっています。国の責任で減免制度をつくることを、強くもとめるものであります。

 第三は、リストラをおさえ、中小企業を支援する政治で、雇用危機を打開することです。政府は、「雇用の過剰」を強調しますが、私は、過剰なのは雇用ではなく、労働時間こそ過剰だと思います。労働時間の短縮による雇用拡大に本腰をいれてとりくむことこそ政治の責務です。

 とりわけ、「サービス残業」とよばれるただ働きの根絶は、急務であります。労働者の運動と、わが党の国会での追及によって、四月に厚生労働省は、「サービス残業」への対策として、「使用者に労働時間を適正に把握することを義務づける」通達を出しました。この通達を、全企業と労働者に周知徹底するとともに、厳正な監督・点検をおこなうなど、「サービス残業」を一掃するための実効ある措置を強くもとめるものです。

 以上、わが党の「緊急提言」についての首相の見解をうかがいたい。もし、この提言に同意できないというなら、冷え込んだ家計をあたため、個人消費を拡大するために、首相はどのような対案をもっているのか。具体的にしめしていただきたい。

「聖域なき構造改革」というのなら――
浪費と環境破壊の公共事業にメスを

 わが党の「緊急提言」では、経済危機の打開のために、以上の三つの転換を実行しつつ、財政再建についても、必要な転換にただちにとりくむことを提案しています。

 とくに国と自治体、公団等で、年間約五十兆円にまで膨張した公共事業について、浪費と環境破壊の巨大開発にメスを入れ、生活・福祉型に内容を転換することで、段階的に半分に減らすことは、その中心点です。

 首相は、「聖域なき構造改革」とのべています。それならば、公共事業について、本格的な削減のメスを入れる意思はありますか。

 首相は、「国債発行を三十兆円以内に抑えることを目標にする」ことを、「財政健全化の第一歩」としていますが、財務省の「財政の中期展望」によれば、公共事業費の現状を維持することを前提にすると、二〇〇二年度には三十三・三兆円の国債発行が必要であり、二〇〇三年度には、三十五・四兆円が必要になります。

 「国債発行を三十兆円以内に抑える」という方針を本気で実行にうつそうとすれば、財源のほとんどを建設国債に頼っている公共事業予算を段階的に半分に減らすことは、不可欠ではありませんか。それぬきには、大増税と国民生活予算の大幅削減が避けられなくなるのではありませんか。経済財政諮問会議の検討にまかすなどという官僚答弁の棒読みではなく、明確な答弁をもとめます。

首相の歴史認識の根本を問う

 つぎに首相の歴史認識の根本について、端的に三点うかがいます。

 第一は、一九三一年の中国侵略開始から、四五年の日本敗戦に終わる十五年戦争の性格を、首相がどう認識しているのかという問題です。

 首相は、「第二次世界大戦を反省する」「日本はなぜあのような戦争に突入してしまったのかといえば、国際社会から孤立したからだ」とのべました。

 しかし、「反省」というが、何をどう反省しているのですか。なぜ当時、「国際社会からの孤立」がおこったと考えているのですか。二十一世紀をむかえた今日にいたるまで、戦後日本の歴代内閣が、侵略戦争への反省を明りょうにしてこなかったことは、ドイツが侵略戦争への徹底的な反省を内外に明らかにして近隣諸国の信頼をかちとったことと、恥ずべき対照をなしています。総理の見解を問うものです。

 第二は、靖国神社への公式参拝の問題です。

 首相は、この問題について、「戦没者への敬意をささげるため、いかなる批判があろうと必ず参拝する」とのべました。しかし、この問題は、戦争犠牲者を追悼するという一般的問題とはまったく次元を異にする問題です。

 靖国神社は、戦前・戦中、「天皇のための名誉の戦死」をした人を「神」としてまつり、侵略戦争遂行の精神的支柱とされた軍事的宗教施設でした。しかも、A級戦犯の東条英機らが合祀(ごうし)されています。これへの公式参拝が憲法の平和原則、政教分離の原則にまっこうから背反することは明らかではありませんか。

 第三は、歴史をゆがめた教科書の問題です。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は、「検定」によって修正されたとはいえ、侵略戦争と植民地支配を美化・合理化する基調は変わっていません。

 たとえば、この教科書では、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んでいますが、この呼称は、太平洋戦争開始の四日後の一九四一年十二月十二日の政府閣議で、「大東亜新秩序建設を目的とする戦争」――日本を盟主としてアジア諸国を支配下におく大東亜共栄圏づくりが戦争目的であることを表現する呼称として決定されたものです。

 政府は、一九八二年の内閣官房長官談話、それを受けた教科書検定基準の近隣諸国条項などで、侵略と植民地支配の自覚と反省を、教科書作成の公式の基準とすることを、内外に公約しています。

 わが党は検定制度について言論・表現の自由を侵すものと批判してきましたが、「つくる会」の歴史教科書を「検定合格」としたことは、政府自らの検定基準にてらしても合理化できないことであり、その誤りは自らの責任においてただすべき――いまからでも「検定合格」を取り消す措置をとるべきだと考えますが、いかがですか。

憲法九条、集団的自衛権、
有事立法、首相公選制について

 首相が、就任早々、改憲に言及していることも、多くの国民に不安を広げています。

 首相は、「自衛隊が軍隊でないというのは不自然だ」「いざという場合は命を捨てるというものに対しては敬意をもつような、憲法違反と言われないような憲法を」とのべ、憲法九条改憲を、公然とうちだしました。

 わが党は、憲法九条は、恒久平和主義、戦争の違法化という世界史の流れにそった条項であり、世界に誇るわが国の宝だと確信しています。

 自衛隊が憲法違反といわれるのが嫌なら、九条の完全実施にむけて憲法違反の現実を一歩一歩変えていくことこそ、政治の責務ではありませんか。

 重大なことは、首相が、憲法九条改憲と一体に、「集団的自衛権の行使について検討する」と語っていることです。集団的自衛権の行使とは、日本が外国から攻撃を受けたさいの「自衛」の話ではありません。それは、「集団」で海外の軍事行動にのりだすこと、すなわち、米軍と自衛隊が、共同で海外での武力行使にふみだすことにほかなりません。

 これは、憲法九条第一項の「戦争放棄」条項を、正面からふみやぶるものであることは明らかだと考えますが、総理の見解を問うものです。

 首相は、所信表明演説で、「有事法制について検討する」とのべました。何のための有事法制か。わが党は、九九年のガイドライン法審議の過程で、米軍が海外で武力行使をおこなったさいに、日本国内の民間空港、港湾、道路などを軍事専用にきりかえる青写真をしるした自衛隊の統合幕僚会議の内部文書を明らかにしました。

 首相のいう「有事法制」とは、米軍が海外で武力行使をおこなったさいに、自衛隊だけでなく、日本国民を総動員することを目的とするものではありませんか。

 これらの動きの背景には、アメリカの要求があります。ブッシュ政権のもとで国務副長官となったアーミテージ氏が中心になって作成した対日報告書では、日米ガイドラインをいっそう「実効」あるものとする措置として、「集団的自衛権の採用」「有事立法の制定」を、公然ともとめています。

 集団的自衛権の行使への踏み込みは、アメリカの軍事的要求にこたえたものではありませんか。

 首相は、首相公選制を当面の課題とはっきり位置づけています。首相公選制は、首相が「憲法はこうすれば改正できると、国民に理解されやすい」とのべているように、九条改憲の突破口として位置づけられているのではありませんか。

 首相公選制は、首相と政府を国会から事実上独立させて、執行権力を独走させ、国権の最高機関としての国会の地位を制度的に脅かす危険をもつものです。そうした危険について、首相はどう認識しているのですか。

 政治に国民の声を反映させるうえでいま大切なことは、小選挙区制の撤廃など選挙制度の民主的改革、国会による行政監督権の充実など、国会が名実ともに国権の最高機関としての役割をはたすことができるようにすることではありませんか。

 日本共産党は、九条改憲、集団的自衛権の行使、有事立法の制定など、憲法の平和原則をふみにじるあらゆる動きに反対してたたかいぬく決意を表明するものであります。

日米安保条約を永久視するのか

 今年は日米安保条約が締結されて五十年目になります。この条約にもとづいておかれている日本の米軍基地は、海兵隊、空母機動部隊、航空宇宙遠征軍という、海外への“殴り込み”専門の部隊がその中心であるという、他に比類のない異常さをもっています。超低空飛行訓練、夜間離着陸訓練、実弾砲撃演習など、基地被害によって多くの国民が苦しんでいます。

 総理に最後にうかがいますが、あなたは、日米安保の実態、米軍基地の実態を、異常な実態であり、二十一世紀には、なくすべき現実だと考えているのか。それとも、二十一世紀も永久につづけて当然の現実だと考えているのか。もしも、この現実を永久につづいて当然という考えならば、およそ国の独立というものにたいする思いを放棄したものといわねばなりません。

 二十一世紀の日本がめざすべき未来は、日米安保条約を廃棄した、基地のない、平和な、ほんとうの独立した日本であること、ここにこそほんとうの日本改革の道があることを強調して、質問を終わります。


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