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日本共産党の政策委員会責任者が十七日に国会内で記者会見して発表した「少年法改定問題について」の見解(全文)は次の通り。
凶悪な少年犯罪が相次ぐなかで、多くの国民が胸を痛め、不安を感じ、「なんとかしなければ」と考えています。なかでも、少年犯罪の被害者の人権が軽視されてきたことは、多くの少年犯罪の被害者の切実な訴えからも明白です。これは現行少年法とその運用の弱点として、放置できない問題です。
わが党は、犯罪を犯した少年への教育的・福祉的措置を中心にした対応という少年法の理念・目的は堅持すべきであると同時に、被害者の人権擁護など、必要な改善・改革はおこなうべきだと考えています。
いま国会では、自公保の与党三党によって、与党の改定案審議が強行されていますが、問題の性格と重大さからいっても、与党が「数の力」で一方的に強行するようなやり方はまったく道理がありません。慎重で、真剣な論議こそ必要です。
この立場から、少年法改定問題について、焦点になっている問題について、わが党の考え方をあきらかにしておくものです。
わが党は、すでに今年六月七日、不破委員長が「成人年齢を『十八歳以上』に引き下げ選挙権と一体の解決をはかる」ことを提案してきました。
この提案は、日本社会で、何歳からを社会を構成する「成人」として扱うかという角度から問題に接近したものです。いま世界では、選挙権は「十八歳以上」が大勢になっています。「子どもの権利条約」でも、「児童とは、十八歳未満のすべてのものをいう」としています。二十歳以上としている日本は、世界の大勢から遅れた国になっていることを踏まえ、「『成人』年齢を全体として『十八歳以上』に引き下げる」なかで、少年法の適用年齢も十八歳未満にすることで、年齢問題の解決をはかることを提起したものです。
これは、十八歳以上の青年に選挙権を与えると同時に、「成人」としての法的・社会的責任を果たすことを求めるという改革案であり、二十一世紀の日本をきずいていく主役としての役割を期待したものであり、前向きの解決策として提起したものです。
犯罪を犯した少年に、その罪の重大さを自覚させ、深刻な反省をせまることは当然ですが、単純に厳罰化すればよいという考え方には与(くみ)しません。少年の犯罪と成年の犯罪を区別するというのは、国際的にも、日本でも定着してきました。それは、発達上、成育上、未成熟なところに少年犯罪の主な要因があり、次代をになう若者を育てることは社会全体の責任でもあるからです。
しかも、ただ刑事罰を重くするだけでは、少年犯罪を抑制できないことは、法務省の少年鑑別所収容少年のアンケート調査で、「少年法が甘いから非行をしたのか」との問いにたいして、八七%の少年が「ちがう」と回答していることやアメリカでは七〇年代末から厳罰化の方向がとられたが、それによって犯罪数が減らなかったという経験からもあきらかです。
(イ)十四歳〜十五歳の少年を刑事罰の対象にする問題について
現行少年法は、十六歳未満の少年を刑事罰の対象から除いています。与党案は、これを十四歳未満にまで引き下げようとしていますが、これには、以下の二点の理由で反対するものです。
第一。少年犯罪の多くは、少年をとりまく環境や未成熟さに端を発しています。これを成人と同じように刑事罰を科すだけで事足れりとするのは、社会の責任放棄です。少年にたいしては、犯罪の重さや被害者の痛みなどを理解させるとともに、更生の道を歩ませることこそ必要であり、そのための体制や施設の充実こそすすめるべきです。
第二。十四歳〜十五歳というのは中学生であり、憲法二六条が規定する「義務教育」下の少年です。この少年の健全な成長をはかることは国の責任です。
(ロ)重大犯罪を犯した十六歳以上の少年を原則として刑事裁判に付すことについて
現行少年法は、犯罪を犯した少年を一般の刑事裁判手続きによって裁くのではなく、家庭裁判所で一人の裁判官が非公開の法廷で少年と向き合い、処分を決めています(少年審判)。そして、重大・悪質な事件など、更生・保護処分より刑事裁判の方にまわしたほうがよいと裁判官が判断した場合には、「逆送」といって刑事裁判にまわすことになっています。
これは、重大犯罪であったとしても、犯罪の背景や原因、少年の成熟度など、事件によって異なるため、個々に判断する必要があるからです。
これにたいして与党案は、十六歳以上の少年による重大犯罪は、原則として「逆送」=刑事裁判に付すとしています。しかし、原則「逆送」ということになると、犯罪の背景や原因など、情状が配慮されなくなってしまううえに、家裁による事件の調査が安易になり、家裁が“トンネル”化するという危ぐが多くの関係者から提起されています。
現行でも、「逆送」という制度はあり、現に事件によっては「逆送」もおこなわれているわけですから、あえて変える必要はなく、原則「逆送」とすることには反対です。
(イ)少年犯罪で、被害者側から少年法やその運用に強い不満や怒りの声が寄せられているのは、たとえば、山形マット死事件などのように自分の子どもの命が奪われたということとともに、どうやって命を奪われたのか、誰が犯人なのかなど、その真相が家裁の少年審判では十分に解明されてこなかったことにあります。
たとえば、山形マット死事件では、警察は十二歳から十四歳の少年七人を犯人として、傷害と監禁致死容疑で検挙しました。その後、家裁の審判では、このうちの三人の犯行と認定するのですが、この三人がこれを不服として仙台高裁に抗告した結果、高裁判決は七人全員が犯行に加わっていたと事実認定し、最高裁は、再抗告を却下しています。家裁と高裁で犯行に加わった人数も、犯人も違ったままという事態が生まれているのです。
被害少年の父親は、いまこの事件を民事事件としてとりあげ、真相を解明しようとしていますが、この父親は、「私たち家族は何とか訴訟費用を捻出(ねんしゅつ)することができました。しかし、訴訟費用がなければ…わが子が殺された理由さえ知ることができないのです」と訴えていますが、当然の切実な訴えです。
これは、家裁の少年審判が、少年の付添人として弁護士が立ち会うだけであり、かならずしも事実認定を最優先にしないという構造をもっていることにも起因しています。
(ロ)したがって、事実認定のための検察官関与を全面的に否定すべきではないと考えます。「一定の重大事件であり、事実関係について疑義がある場合は、事実認定手続きに限って」検察官の関与を認める方向で検討すべきです。もちろん、検察官の抗告権は認めません。
なお、多くの少年犯罪で、被害者からも不満と怒りが表明されている警察のずさんな捜査をあらためることは当然です。また、重大事件については、捜査の適正化を期するため、取り調べの録音導入や弁護士の付き添いなども検討課題です。
(ハ)また、被害者にとって、我慢できないことの一つは、情報が開示されないということです。これは警察の捜査のあり方もかかわっていますが、十五歳の息子の命を奪われたある母親は、「現在の少年法では、被害者はまったく考慮されてない」「真実はどこにあるのか」と訴えています。そして、警察からは、司法解剖の正式結果も示されず、死亡推定時刻すら特定されていません。こうした情報について、被害者側への開示をおこなうのは当然です。
被害者の思いを表明する場が一切保障されていないことも大きな問題であり、家裁における審判の際、被害者側が意見を陳述する機会を保障すべきです。
アメリカなどでは、少年が深刻に反省し、更生していくためにも被害者の苦しみを教えるべきだという考えから、加害少年と被害者側の対面という方法がとられています。日本でも採用すべきです。諸外国にくらべても遅れている被害補償、被害者のケア対策の充実は当然です。
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