2004年6月17日 日本共産党政策委員会文教委員会
子どもと教育の危機が進行するなかで、今を生きる子どもたちにふさわしい学校をどうつくるのか――その探求が切実に求められています。ここには多くの課題がありますが、その中の一つに、教員が教育者として誇りとよろこびをもって仕事にとりくめているかどうか、という問題があります。
今日、教員の世界では、中途退職者が目立って増える、精神性疾患による休職者が数年間で倍増するなど、これまでなかったような状況がおきています。一方、国民は教員の資質、専門的な力量の向上をつよく願っています。
教員をめぐる困難は、子どもの教育をよくしていくため、国民みんなで考えなければならない問題です。私たちはその立場から、困難を解決し、子ども、保護者、国民の願いにこたえる学校をつくるための提案をおこなうものです。
子どもたちが、今日の社会の中で、おとなの想像をこえる生きづらさや悩みをかかえていることを真剣に考えないわけにはいきません。
子どもの変化のなかで、教員も子どもとの関係がむずかしくなっていることを感じています。突発的にキレる子ども、すぐ「疲れた」という子ども、小学校低学年から勉強をあきらめてしまっている子どもなど、困難をかかえている子どもがふえています。「子どもからの暴言や暴力への対応に神経をすり減らす」「学力差が大きく、授業の組み立てが難しくなった」と悩む教員は少なくありません。こうしたことの背後には、保護者の長時間労働や雇用不安、競争的な教育制度など、経済や社会のゆがみがあります。
子どもが困難をかかえている時だからこそ、社会全体で子どもの成長を支える営みを創造的に発展させることが求められています。とくに教員は教育の専門家として、子どもの生きづらさや悩みを受け止めながら、子どもの人間的成長や学力の形成を支えることに力をつくすという、大切な役割をもっています。
ところが、学校・教員をめぐる諸条件は、そうした教員の努力をはげますどころか、教員のストレスを助長させるような深刻な問題をかかえています。国や地方行政がその深刻な問題を解決して、教員が思いきり力を発揮できる条件をつくることを求めます。
文部科学省の国立教育政策研究所が中心となった調査(01年3月)によれば、教員は平日、平均11時間働いており、「教師をやめたくなるほど忙しいと感じたことがある」という教員の割合は61%にのぼります。「トイレに行く時間もなく、学校ではじめて入るのが午後五時すぎることさえしばしば」「あまりの忙しさに、家のなかのことや子どものことは祖母に任せきり。自分の子どもが思うように育っていないのも、これまでの家のことを放ってきた報いかも、と頭をかかえる」(同調査)など教員は深い悩みをかかえています。
土日や祝日も学校や部活動で勤務している教員も多く、それをふくむ超過勤務は、月平均80時間10分です(全日本教職員組合調査、02年5月)。月80時間以上の超過勤務は「緊急に改善の必要あり」(厚生労働省)という過労死の危険ラインです。まさに教員は過労死の危険ラインで働き、実際、いたましい過労死が各地でおきています。
子どもとふれあう時間や授業準備の時間がとれない
しかも教員の「多忙化」は、「気になる子どもとじっくり話す時間がない」「子どもをひきつける授業をしたくても教材研究の時間がとれない」という忙しさです。子どもと関わったり、授業の質をあげることに時間を割きたいのにそれができないことは、教員の徒労感をいっそうつのらせています。
なぜこうなっているのでしょうか。教員が受け持つ授業時間数の多さに加えて、校内外での会議、事務仕事、教育委員会・管理職への大量の文書提出など、子どもの教育とは直接関係のないことに時間をとられることが、おおきな原因です。
さらに政府がつぎつぎと上からの「教育改革」を学校に押しつけてきたことも、「多忙化」に拍車をかけています。たとえば中学校ではこの春から、子ども一人ひとりについて一時間ごとに「関心、意欲、態度」など数項目を点数化するという、煩雑な評価法が教員に押しつけられ、「意味がない『評価』に時間がとられ、肝心の教えることがおろそかになる」という悲鳴があがっています。こうした例はあげればきりがありません。国立教育政策研究所員の調査(02年)では、校長の95%、教員の97%が最近「教育改革」について「もっと現場をふまえた改革にしてほしい」と訴えています。
超過勤務の「歯止め」がない
公立の教員の実態は超過勤務に歯止めがなく、超過勤務手当もありません。法令は「原則的に超過勤務命令を出さない」「超過勤務手当は払わないが、本給に4%の教職調整額をつける」となっています。この法令を決めた71年当時、政府は「4%という数字は週平均1時間48分の超過勤務という実態にみあったもの」「法律ができたからといって先生たちを追いまくるようなことは毛頭考えていない」と述べていました。しかし、今では超過勤務は週平均18時間以上となり、法律の前提は完全に崩れています。にもかかわらず文科省は「先生たちが自発的に勤務するのは問題はない」と「多忙化」を放置し続けてきました。労働者を守るルールが弱い日本の中でも、異常な状態です。
保護者や国民は、子どものために懸命に働いている教員への信頼とともに、子どもを傷つける言動をする教員への不信をいだいています。その解決をふくめて、教員の力量向上は、国民のつよい願いです。
ところがこれにたいして政府・文部科学省は、教員の教育者としての地位を低め、教育委員会や管理職のいいなりになる教員づくりを推し進めてきました。
四年前文科省は法令を改悪し、学校の職員会議を「校長の職務の円滑な執行に資する」機関にし、教員を校長の言われるままに動く存在におとしめようとしました。職員会議は教育方針についての合意を形成する場から、校長の方針の上意下達の場にかわり、校内がぎくしゃくする学校がふえました。「率直に言いたいことが言いにくい雰囲気がある」という教員は4割近くにのぼっています(前出の国立教育政策研究所調査)。東京都の卒業・入学式のように、処分で脅して教員に服従を迫るような事態までおきています。
授業への統制もつよまっています。教員に次週の授業計画を記した「週案」の提出を求め、それにたいして校長、教頭らがこと細かくチェックして、書き直しを命じる学校がふえています。こうしたなかで、子どもの実態にあわせて自主的創造的に授業をつくることがむずかしくなってきています。
さらに文科省は来年度までに、「指導力不足教員の人事管理制度」と「教員の評価システム」の導入を都道府県・政令指定都市に求めています。ところが、いちはやく両制度を導入した東京都では次のような状況がひろがっています。
――「指導力不足教員の人事管理制度」では、「校長や教頭の指示や指導に従わない」ことが「指導力不足」認定の要件とされることもあり、認定は教育委員会の人事部長と関係課長が決定します。気に入らない教員を「あなたは指導力不足」「3年でクビにする」とおどす校長もいます。また、「認定後の研修が草むしりだった」など、教員をまじめに支援せず、事実上、退職においこむことが目的になっているようなケースもあります。
――「教員の評価システム」では、教員は校長の方針にそって自分は何を目標にするかという「自己申告書」を書かせられ、それがどこまで達成できたかで教育委員会によってランク付けされます。管理職が気に入らない教員に低い評価がつくなど、評価の客観性の保障は何もありません。教員の83.5%が、この制度は「教員の力量向上に役立っていない」とこたえています(02年4月発表、浦野東洋一東大教授=当時=調査)。
日本共産党は、これまで述べてきたような教員の「多忙化」や教員への管理統制の強化を是正し、保護者、国民の期待にこたえる学校をつくるため、以下の提案をおこないます。
教材研究や子どもとふれあう時間がとれないまま、過労死してもおかしくないような勤務状態の改善を、学校教育をよくする土台として重視します。
○政府と自治体の責任で超過勤務の改善、解消をはかる
教員の「多忙化」を放置している政府の姿勢を転換させ、次の点にとりくみます。
1.政府と自治体の責任ですみやかに超過勤務の実態を把握し、超過勤務を軽減・解消するためのあらゆる措置をとる。月単位、週単位の超過勤務の回復措置、夏休みで子どもが学校に来ない期間の代替休暇など、できるところから改善策を具体化する。
2.教育委員会への提出書類を必要最小限なものに精選するとともに、学校においても不要・不急の書類作成等を整理・合理化することを奨励する。
3.「1時間の授業に1時間の準備ができるだけの教員配置」(02年5月23日、文科省・矢野初等中等教育局長の国会答弁)を実質化し、教員配置を抜本的に改善する。
○自主的な研修の保障と「初任者研修」の抜本的改善
教員の力量向上には「研究と修養」(研修)が不可欠であり、法律でも重視されています。研修における自由や創造性を尊重し、実りあるものにします。
1.夏休みなどを利用した民間研究団体の研究会等を研修として認めないという、一部の教育委員会の対応をあらため、自主的研修を保障する。
2.学校現場から週1、2回も離れ、内容も形式的な「初任者研修」を、子どもの現実に則した校内研究会や若手教員の交流など、新任教員に役に立つものにあらためる。
3.半年から一年間程度の「研修休暇制度」を創設し、必要な代替教員を配置する。
○「30人学級」、LD(学習障害)などの子どものための教員配置など教育条件の整備
子どもへのていねいな教育のために、教育条件を手厚くすることは不可欠です。国の責任で「30人学級」を実施すること、LD、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、高機能自閉症などの子どもの支援のために教員を配置することを求めます。急増する非常勤教員を常勤化し、安定した勤務条件の下で力を発揮できるようにすることも急がれます。
小泉内閣による義務教育費国庫負担制度の廃止計画は、義務教育の財政的基盤を掘り崩すものであり断じて認められません。
管理統制の強化では、管理職に従うことが優先され、目の前の子どものことを第一に考えて仕事をすることが困難になります
1)教員を教育の専門家として尊重する学校運営、2)保護者や子ども、住民が参加する「開かれた学校」によって、教員が子どもや保護者に顔をむけながら研鑽をつむことができる方向に転換させます。
○教員を教育の専門家として尊重する学校運営に
1.職員会議の法的位置づけを「教育方針を合議する場」に改める。校長、教頭は、教育委員会の意向を教職員に伝達する管理機構の末端でなく、学校における教育のリーダーとして、教職員の合意形成や学校の人間的な雰囲気の維持と強化につとめるようにする。
2.学習指導要領、評価法、学習方法などの強制をやめさせ、学校と教員が、子どもや保護者の意見をききながら、最良の方法で教えられるようにする。学習指導要領は大まかな目安とするとともに、国民的な英知を結集して合理的な学習内容につくりかえる。
3.「君が代・日の丸」の学校現場への強制をやめる。入学式・卒業式は、子どもにとって最善のものにするため、教職員、保護者、子どもで話し合っておこなえるようにする。
4.教育委員会による校長、教頭への不当な統制や、「主幹」など新たな管理層づくりをやめさせ、学校の民主的運営を保障する。
5.政府の上からの「教育改革」のおしつけをやめさせ、学校の自主性を保障する。
○教職員、子ども、保護者、住民が参加する「開かれた学校」に
教育の困難を教員だけでかかえることには限界があります。教職員、子ども、保護者、住民が協議しながら学校運営をすすめる「開かれた学校」づくりを提案します。法制化された「学校評議員制度」「学校運営協議会制度」を、その立場から見直し、改善します。
子ども、保護者らの学校運営への参加は世界の流れであり、日本でも教職員、父母、生徒による「三者協議会」や「学校フォーラム」などの形でひろがり、成果をあげています。保護者は、教員から子どもの様子を伝えてもらい、いっしょに語り合うことをのぞんでいます。「開かれた学校」は、意見や注文をわだかまりなく言いあえることを保障し、子どもと学校を支える輪をひろげます。
子どもの権利条約は、「子どもに影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利」等を保障しています。「開かれた学校」は、子どもの権利を具体化するうえでも重要です。
○管理統制型の「教員の評価システム」の導入に反対する
管理職の恣意的な評価で教員の処遇をきめる「教員の評価システム」は、教員の目を無理矢理子どもから行政や管理職にむけさせるものです。そうした制度の導入に反対します。教員の力量向上に役立つ教員評価というなら、教育行政が管理職をとおして行なうのではなく、子ども、保護者、同僚、専門家などの関与のもとで、教員が納得し、教員の努力をはげます、教育活動へのていねいな評価であるべきです。
激しく乱暴な言葉遣いで子どもを萎縮させる、わいせつ行為や体罰などの違法行為――一部の教員による子どもを傷つける言動は、子どもを守るべき学校において、あってはならないことです。「訴えてもきちんと対応してくれない」「問題をおこす先生が何の対応もされず、たらい回しされている」という学校や行政側の対応も放置できません。
○子どもの成長を最優先に、厳正な対応を
子どもが被害を受けている場合、学校と保護者との話し合いを大切にしながら、子どもを守りその成長を保障する視点から、状況によっては教員を直接子どもの教育にかかわらせないなどの機敏な措置をとることが必要です。わいせつ行為や体罰など悪質な場合、懲戒免職も含め現行法に基づく厳正な処分をおこなうことは当然です。
子どもや保護者が被害を訴えやすい身近な窓口を、学校だけでなく弁護士やカウンセラー等で構成する第三者機関などの形でおくことも必要です。防止のため、管理主義の是正、子どもの権利条約の普及など子どもを人間として大切にする気風をつくることが重要です。
○教員の心身のケアや力量向上のための支援も本格的に
同時に、心身の疲労や力量不足などにより、子どもとの関係がうまくいかない教員への対応も大切です。ベテランの教員でも子どもの変化にとまどう場合もあります。「問題をおこしたら切り捨てる」というのでは、職場は殺伐とし、教員のチームワークなど学校の教育力がかえって低下することにもなりかねません。心身のケアや力量形成を主眼においた専門的な支援と条件整備をおこなうべきです。また、教育活動に意欲を失っている教員を支援し、改善をもとめて批判や援助をおこなう職場の自己規律の確立が期待されます。
○「指導力不足教員の人事管理制度」は見直しを
導入がはじまっている「指導力不足教員の人事管理制度」を、(1)恣意的な認定基準をなくし、判定機関に医師、カウンセラー、弁護士、教育学者などを加えるとともに、本人の意見表明、異議申し立て制度を設けるなど、判定を公正なものにする、(2)心身のケアや力量向上のため、専門機関と連携しつつ適切な研修や休業・療養を保障する、(3)教員配置に余裕をもたせ、必要に応じて代替教員を派遣して学校の負担過多を防ぐなどの方向で抜本的に見直します。
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