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「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」――。2009年総選挙で、民主党が「政権構想 5原則」のトップに掲げていた項目です。しかし、民主党が政権をとってから約10カ月、「脱官僚依存」や「政治家主導」をどれほど声高に叫んでも、国民本位の政治も行政も、ついに実現しませんでした。
それもそのはずです。民主党の「政治家主導」の実態とは、きわめて表面的・部分的な「官僚排除」でしかありませんでした。しかし、こんにちの悪政の根本問題は、財界・大企業言いなりと、アメリカ言いなり政治です。それを政治と行政の両側からささえている構図こそ、根本から打ち破るべき課題といえます。
とりわけ、「官僚主導政治」の弊害をとりのぞき、国民本位の公務員制度と行政を実現するというなら、政官財の癒着のトライアングルを打ち破ることが急務です。
公務員は「全体の奉仕者」です。しかし、現在の官僚制度は、一部の特権官僚を中心として、国民に奉仕するのではなく一部の政治家や財界・企業のための存在となっています。この癒着のトライアングルの“接着剤”となっているのが、「天下り」「企業・団体献金」であり、政府・与党による大企業中心政治にほかなりません。
人事院の発表によれば、官僚による天下りは2001年から08年までの8年間で合計5850人、1年あたりの平均では731人にのぼります。霞が関から各企業・業界などに天下った官僚は、許認可や公共事業などさまざまな権益にかかわる各官庁の情報を天下り先に伝え、それを通じて利益をえた企業が天下り官僚を厚遇、同時に、政治家に莫大な政治献金を与えて、さらに国会で企業や業界に有利な政策をすすめてもらうという関係になっています。
天下り官僚と企業との癒着の一端について、ある大手ゼネコンの課長経験者は「ゼネコンの不正の根は官民癒着にある」として、次のように告発しています。
「私はこれらのOBすべてが談合に関わっていると断言できる」「企業が官庁などからOBを採るのは、何も永年国家のために尽くしてきた官庁OBの老後の面倒を見ようという慈善事業のためではない。OBに高い給料を払ってもなお十分なおつりが来るから採っているのだ」(鬼島紘一氏『「談合業務課」 現場から見た官民癒着』)
この構図は、「アメリカ言いなり政治」という点でも同様です。鳩山前内閣は、沖縄県民の総意と日本国民多数の声を踏みにじって、米政府の要求通りに普天間基地の沖縄県内(名護市辺野古崎)へのたらい回しを決めてしまいました。これは、自公政権が06年に正式に決定した、現行案への事実上の“回帰”そのものでした。
「毎日」5月31日付は、これを先導したのが、官僚にほかならなかったことを、次のように報じています。「『米国の要求を満たすには現行計画しかない』と割り切っていた外務・防衛官僚が『復権』。一気に現行計画回帰への動きを加速させた」
結局、「官僚主導政治の打破」をいくらスローガンで叫んだとしても、政治も行政も国民の手に取り戻すことができないことは、いよいよ明らかになったといえます。
一方、公務員の労働条件の改善や権利の向上も、国民本位の行政にとって不可欠の課題です。公務員は、労働者という側面と同時に、住民・国民への奉仕者として、公正で効率的な行政サービスを国民に提供するという、他には代えられない側面ももっています。とくに、戦後の公務員制度は、戦前の公務員が「天皇の官吏」と位置づけられていたことへの反省のうえに、「全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」(憲法第15条)と規定されてスタートしました。日本共産党は30年以上も前から、公務員は「全体の奉仕者」であり、行政サービスという公共性をもつ仕事に携わっている以上、公正中立で民主的効率的な行政を実現するために、住民と国民の目線にたって積極的に働くようにすべきだと主張してきました。
同時に、公務員が真に「全体の奉仕者」として業務に従事できる体制を確立することも重要になっています。民間もふくめて、労働者が健康で文化的な生活を営むうえで、「過労死」さえ問題になるようなこんにちの過酷な労働条件は、一刻も早く改善しなければなりません。また、「官製ワーキング・プア」といわれるような、非常勤職員の劣悪な労働条件の改善も急務となっています。ワーキング・プアが社会的問題になっているとき、官公庁こそそうした労働条件改善の先頭に立つべきです。
国家公務員から剥奪されているスト権などの労働基本権の全面回復をはかる必要もあります。
一部の政党などは、「公務員を目の敵」にするような議論を吹聴し、そうした主張が、国民のあいだに一定の影響を与えています。これは、本来たたかうべき相手――国民の命や暮らしを脅かし悪政を持ち込もうとしている勢力――をおおい隠すだけでなく、連帯と共同によって、ともに手を取り合うべき国民のなかに、分断と対立を込むきわめて有害な議論だといわなければなりません。