日本共産党

「しんぶん赤旗」日曜版 2002年9月15日号

不破さん 4年ぶり 中国訪問

座談会 見て 聞いて 話したこと

(前編)

不破哲三議長 筆坂秀世書記局長代行 緒方靖夫国際局長


 日中両党関係の正常化から四年、日本共産党の不破哲三議長が八月二十六〜三十日の五日間の日程で中国を訪問しました。不破さんと、これに同行した筆坂秀世書記局長代行・参院議員、緒方靖夫国際局長・参院議員の三人が、今回の訪問で話し合ったこと、中国・北京の表情など、見たまま感じたままをとっておきの秘話やエピソードも交えて、語り合いました。今号と次号の二回にわたってお届けします。司会は近藤正男日曜版編集長

 ――今回は、不破さんは四年ぶりの訪中でしたね。

不破 向こうでは、会う人会う人、「四年は長い」とか「もっと早く会いたかった」などと言われるものですから、言い訳を考えましてね。一回目と二回目のあいだは三十二年、二回目と三回目のあいだは四年、八倍もスピードアップしている、と。(笑い)

中国経済の表情を見て

若い技術者集団が中心にすわった企業 不破

海外流出の"頭脳"どんどん呼び戻して 筆坂

中国の比重、ハイテク・家電でも急成長 緒方


短期間に巨大なハイテクセンターが

 ――四年ぶりに見た中国は、どうでしたか。

不破 前回も今回も五日間という日程で、広い観察ができたわけではないのですが、それでも、経済的な変化・発展のスピードを強く感じましたね。

 訪問三日目に、北京の近郊の中関村(ちゅうかんそん)を訪ねたのです。ここは、いま、中国の“シリコンバレー”(世界的に知られたアメリカの最新技術の集積地帯)と言われて、日本の雑誌でもよく紹介されるところです。十四年前に開発が始まったと言いますから、まだ歴史は若いのですが、ここがいまでは、一万一千社のハイテク企業、七十の大学と二百を超える研究機関が集中するハイテク技術の巨大センターになっています。

 私はたしか四年前にこのあたりを車で通った記憶があるのですが、そのころはまだそんな話は聞きませんでした。

筆坂 どんな勢いで企業が増えているかというと、去年一年間で三千六十社です。つまり、中関村だけで、年に三千六十社のベンチャー企業が立ち上がった、ということ。すべてが成功するというわけではないけれど、日本では、一つの地域でこれだけの企業が立ち上がるなんてありえないですね。中国政府は、税金や金融などの優遇措置をとって、アメリカやヨーロッパで活躍している技術者をはじめ、海外に流出した“頭脳”をどんどん呼びもどしています。これまでに十五万人帰ってきたそうですが、それでも流出頭脳の三分の一だと言います。帰ってきてから、関係者に聞きましたら、日本にはそんな国の支援はないし、中国の頭脳面での底力はすごい、と言っていました。

“孵化園”とは――ベンチャー企業の誕生を助ける施設

不破 帰ってきた人たちを援助する施設の名前が面白かったね。「孵化(ふか)園」と言って、説明のビデオには、卵が孵(かえ)るイラストまで出てきた。(笑い)

緒方 中国語では、「ベンチャー」育成のことを文字通り「孵化器」(フーホアチー)と訳してますよ。

筆坂 若い人が企業の中心で活躍していることも目立ちましたね。中国最大のコンピューター会社「連想」(社員一万二千人)を訪ねましたが、中国科学院が出資してつくった企業で、社員の平均年齢は二十八歳と言っていました。

不破 一九八四年の創業ですが、ものすごい急成長で、売上総額は世界第七位。最新の製品を見せる展示場を見ましたが、パソコンのデザインも子ども向け、家庭用と、実にユニークなデザインです。聞くと、専門の研究センターでやっているというから、「若い人ばかりでしょう」と言うと、「その通り」との答えでした。

筆坂 びっくりしたのは、案内された社内のあちこちにビーチパラソルをかざした丸テーブルがあって、三、四人ぐらいで話している。休憩しているのかと思ったら、ノートにメモしながら議論の最中でした。新しい技術開発やデザインなどの話でしょうね。実に自由な、活気に満ちた雰囲気を感じました。

不破 若い技術者の集団が、生産と経営の中心になって企業を動かしている。ここには、たいへん新しい何かが生まれつつある印象があって、研究の意欲をそそられました。

日本側の冷たい対応が自主開発への「援助」になった?

緒方 ハイテクだけでなく、クーラー、洗濯機、テレビ、ビデオなど家電の分野でも、世界市場での中国の比重が急成長なんですね。すでに四分の一から三分の一のシェアを占めている。しかも、中国の製品の方が日本の製品よりも安くて欠陥率も少ない、というんですよ。日本の家電メーカーの重役の話では、日本はメーカーのイメージで保っているけれど、もう少し時間がたつと、たいへんな時代になるんじゃないか、と言っていました。そういう経済的な活気は、現地でも強く感じましたね。

不破 中関村を訪問した日の夜は、党の政治局員で社会科学院の院長をしている李鉄映さんと、会食もまじえて三時間ほど話したのです。十数年前、電子工業関係の閣僚だった人で、当時、日本の電子工業界と交渉した経験談を話していました。技術移転の折衝をしたが、どうしても応じてくれない。それなら自分でがんばろうと自主開発に努力し、技術面でうんと伸びた、というのです。

緒方 不破さんが、その経験を評して、「日本の経済界の冷たさが、あなたがたへの“援助”になったんだ」と言ったのは、面白かったですね。

不破 安易に技術移転で間に合わせていたら、現在の状況はだいぶ違っていたかもしれませんからね。これにたいして、日本の電子工業界は、中国の発展の可能性を低く見て、目先の利益だけを考えたために大損したのです。「これが市場経済ですよ」と言ったら、李さんも笑っていました。日本の経済界も、最近そのあたりのことを多少わかりはじめたようですが……。

緒方 実際、いま中国の携帯電話市場は二兆円と言われるのに、そこで成功しているのは、欧米や韓国の企業ばかりで、日本は参入に苦労していますよね。先日もNHKの「クローズ・アップ現代」で、この立ち遅れをなんとかしようと懸命になっている日本の企業の姿が生なましく映し出されていました(「中国“携帯”市場をねらえ」八月二十一日放映)。

技術者が中心になって起こした農業のハイテク企業

 ――農業も見たのでは?

不破 四日目に、中関村に隣接する四季青郷(しきせいごう)という地域で、ハイテク農業をやっている会社を訪ねました。入ると、広い部屋に無数のガラス瓶が整然とならんだ現場がある。花の促成栽培の施設で、普通五年かかるものが三カ月でできるとか。野菜の水耕栽培の施設も、広大なものでした。案内してくれた副社長が、そこを「工場」と呼んでいましたが、行ってみると、機械工場で労働者の配置を示すような調子で、人員配置図が掲示されていました。従来型の方法にくらべて、コストも安いし、品質も保障されるとの説明です。「ここには、博士が四人いる」というのですが、あとで副社長自身が、博士の一人だと分かりました。中国ではまだ、例外的な施設だとのこと。それでも、たいへん未来性を感じる新技術への挑戦で、ここでも、技術者が会社をつくり、生産者となってその技術を直接反映させるしくみに、新しさがありますね。

筆坂 私は中国ははじめてなんですが、すごい活気を感じました。

深夜、街中の“市場経済”を歩く

不破 どこへ行くにもパトカーつきの公用車ですから、街のなかの“市場経済”はなかなか見にゆけなくてね。それでも、四季青郷を訪ねた日、公式の日程が全部終わった夜十時ごろ、北京飯店を抜けだして、王府井(ワンフーチン)という目抜き通りを歩いたのは、面白かったね。大通りもそこへ抜ける横道から裏通りまで、屋台でいっぱい。

筆坂 屋台だけじゃなく、普通の構えの商店でも遅くまで開いている。昼間の新宿、渋谷を思わせるようなにぎわいで、本当に人があふれている。

緒方 いつでも声が飛び交うんですよ。「安いよ」「うまいよ」「買っていきなさい」って。香港の夜店やソウルの夜店も歩きましたが、それと変わらない。

不破 長い長い屋台の列に全国各地の食物がならんでいたところで、最初にその呼び声に引かれて、餃子(ぎょうざ)にまずかじりついたのは、緒方さんでしたね。(笑い)

日本の経済界は予測する

――20年後にはGDP世界第二位に

緒方 それと二〇〇八年の北京オリンピックですね。どこに行ってもビルや道路の建設ラッシュで、インフラ整備が都市でどんどん進んでいることも、印象的な情景でした。

不破 最近の『世界週報』に、財閥系の戦略研究所の中国担当者が「中国市場の巨大化」についての論評を書いていました。日本の「高度成長」の理論家だった下村治さんが、GDP(国内総生産)の規模の世界順位と国民一人あたりGDPの世界順位との差が大きい国ほど、経済発展のスピードが速いという「法則」をとなえた、というのです。それではかると、中国のGDPは世界第七位、一人当たりは百二十八位だから、これからの経済発展の加速力は抜群だ、おそらく二〇二〇〜二五年ごろには、GDPの規模で日本をこえて世界第二位になるだろう、との見通しでした。

 人口は日本の十倍ですから、その時点でも、国民一人当たりの水準では日本の十分の一という勘定になりますが、市場の規模そのものは、本当に巨大で、しかもひきつづき大きな拡張力をもちます。

筆坂 そこへ欧米の企業が遠慮なしに参入しているのに、隣国の日本がうまく参入できなかった、というのは、日本の経済界の大失敗と言えるでしょうね。中国の経済力の過小評価という問題はさきほど言われましたが、もう一つ、政治が逆向きに働いてきたことの責任は大きいですね。

不破 中国の人たちには、中国は発展した都市部とおくれた内陸部の格差がたいへん大きいから、北京や上海などだけを見て判断しないでくれ、今度来るときには、内陸部のおくれた地域の実態をよく見てほしい、ということを、口々に言われました。機会があったらそうしたいと思っていますが、都市部でああいう活力をもって経済が発展している、その力があってこそ、経済の全体を持ち上げる基盤も生み出される。矛盾に満ちた発展でしょうが、中国の経済がもっている発展力をよく見定めないと、日本の経済界も政界も、さらなる誤算をする可能性がありますよ。

講演「レーニンと市場経済」をめぐって

市場経済の中で長年くらした立場から 不破

私にもたいへん刺激的な講演でした 筆坂

「理論化への思い満たされた」の感想も 緒方


 ――不破さんが、中国社会科学院での学術講演に、「レーニンと市場経済」というテーマをとりあげたのは、そのあたりの見方とも関連があるのですか?

不破 社会科学院の李鉄映院長に、「よい講演をしていただいた」とお礼を言われたとき、話したのです。「社会主義市場経済」という方針を決めて、それを実行しているのは、中国の人たち、そこにいろいろ矛盾を感じてそれを乗り越える努力をしているのも中国の人たちだから、私たちが、それにいろいろ言うと、「内政不干渉」の原則に反する(笑い)。しかし、ものを言える立場が何かあるとすれば、私たちは「資本主義市場経済」のただなかで暮らしていて、市場経済というもののいいところ、悪いところを、資本主義という枠のなかではあるが、よく知っている、その面からはいくらかのことが言えるかもしれない、こんなことを話したのですよ。

 私自身でも、資本主義市場経済は子どもの時から数えて約七十年の経験がありますが(笑い)、中国の人たちの「社会主義市場経済」の経験はまだ十年ちょっとですからね。

 ――なるほど。

「社会主義と市場経済」――興味津々のレーニンの方向転換

不破 それから、私は、「レーニンと『資本論』」の研究をしたとき、レーニンが市場経済を敵視する立場(「戦時共産主義」)から、市場経済を積極的に活用する立場(「新経済政策」)に転換する過程を、詳しく追跡して、たいへん得るところがありました。レーニンは、ロシア経済の現実にぶつかっていわば百八十度の転換をしたわけです。

 中国の「社会主義市場経済」も、「文革」のあと、中国経済の現実にぶつかるなかから、生みだされてきた方針でしょう。「文革」の時代を、この面から見ると、市場経済敵視の時代と言ってもよい。自分の国の経済の現実と切り結んで、事実の力におされながら、市場経済への大転換をやったという点では、大きな共通点があるんですね。

 ただ、中国の文献を私が目にしたかぎりでは、レーニンの「新経済政策」を研究することで、市場経済論に踏み切ったという経過はほとんどないように見えました。最近は、そこに言及する議論も増えているようですが。しかし、レーニンは、社会主義と市場経済という問題に最初に取り組んだ共産主義者であって、そこには、なかなか重要な分析や将来の発展方向についての予見もあります。ですから、この問題に取り組んだレーニンの経験をまとめて紹介することは、中国の研究者たちにとっても、何らかの参考になりうるだろう、と思ったのです。

「市場経済」問題でのソ連の失敗に笑いの渦が

筆坂 理論上の研究問題だといって、二つ提起しましたね。

不破 一つは、市場経済を社会主義への道とするには、何が必要か、という問題でした。市場経済というのは、資本主義にもどる可能性もあれば、社会主義に進む可能性もある、その両面をもった経済です。だから、中国経済が市場経済のもとで発展していることを見て、「これは資本主義だ」「資本主義に向かっていることは間違いない」などという人は、いまでもいます。

 こんな見方は、私たちはとりませんが、かといって、「市場経済を通じて社会主義へ」という道は、自動的に進行する過程ではもちろんありません。だから、講演で、一つの問題として、市場経済が社会主義に向かうために必要な諸条件はなにか、ということをとりあげました。レーニンは、この問題もかなりつっこんで解明していたんですね。

 もう一つは、より将来的な問題として、社会主義に到達してしまったら、市場経済が不要になるのか、それとも引き続き必要なものなのか、という問題です。労働の生産性とか企業の生産の成績などは、現在、市場経済的に測られています。市場経済がなくなったとなると、その代用物を見つけるのは、なかなか難しいんですね。

 旧ソ連で、市場経済に代わるモノサシを探して、目方(重量)を採用した。そうしたら、重くて買い手のつかないシャンデリアとか(笑い)、大量の鉄をつぎこんで機械をつくり、目方のノルマ(生産目標)は達成したが、重くて使いものにならなかったとか(笑い)、ベトナム農業の機械化の援助だといって、田植え機を送ったら、田んぼにズブズブと沈んじゃったとか(笑い)、そういう話を紹介したら、大受けでしたね。

緒方 満場、大爆笑でしたよ。(笑い)

将来の日本も同じ問題にぶつかるはずだ

不破 この問題は、実は将来の日本の問題でもあるんです。高度に発達した資本主義国の日本でも、将来、社会主義に向かって進むとしたら、当然、市場経済を通じての道を歩むことになるでしょう。その時は、市場経済のなかに社会主義の部門が生まれ、それが市場経済でその合理性や優位性を点検されながら、比重を大きくしてゆく、そういう道を進むにちがいない、という話もしました。その意味では、私は、「市場経済を通じて社会主義へ」という道は、日本と中国では条件は違うけれども、世界的な普遍性をもつ問題だと考えています。

緒方 もともと、このテーマで講演してほしいという要請は、中国の社会科学院の研究者の側からあったんです。

 三月に、南京で「歴史認識と東アジア平和フォーラム」という会議があって、招待をうけて出席したのですが、そこで中国の社会科学院のいろいろな研究者と交流ができました。その時、不破議長に訪中して講演してほしい、という要請が何人かの人からあり、一番望まれたテーマが市場経済問題の解明だったのです。

 だから、会場では、若い人たちも多く、“たいへんすばらしい講演をしてくれた”と口ぐちに言っていました。社会科学院のある幹部が、お礼を述べながら、「中国では実践が先に立って理論化のプロセス(過程)が求められていた。その思いが学術講演で満たされた」という感想を述べていました。「経済の専門家たちも、これからの活動に資するという点で、本当によかったと言っている」と聞いて、うれしかったですよ。

野放しの害悪を許さない「歯止め装置」を

どうつくってゆくか

不破 講演では、十分には話せなかったのですが、資本主義市場経済は、世界では数百年、日本でも明治以後だけを数えても百数十年の歴史をもっています。そのなかで、これを野放しにしたら、社会がたいへんなことになる、貧富の格差もとめどもないことになる、ということが分かり、労働者、国民の抵抗や闘争があって、いろいろな「歯止め装置」がつくられてきているんです。マルクスが『資本論』で詳しく分析した労働時間の制限などの工場立法も、その一つだし、二十世紀に世界的な発展をとげた社会保障の諸制度もそうです。市場経済の野放しの放任を許さない、こういう「歯止め装置」が、国ごとの違いはもちろんありますが、長い時間をかけてできています。

 ところが、「社会主義と市場経済との結びつき」が問題になっている国ぐには、レーニン時代のロシアにしても、現在の中国やベトナムにしても、市場経済をいったんなくしてしまったところから、ことが始まっています。だから、野放しの市場経済による害悪をおさえる「歯止め装置」という点では、国民的な経験も少ないし、当然のこととして制度的にも遅れています。それを、短期間につくってゆかなければならない、そこに一つの難しさがあると思います。

 ただ今回の講演のなかでは、そういう問題も、ある程度はヒントになりうる話を織り込んでみました。

筆坂 不破さんの講演は私にとっても刺激的でしたが(笑い)、中国の人たちにもそうではなかったか、と思いますね。市場経済が経済発展につながるというのは、中国の人たちも、この十年あまりの経験をふまえて、実感としてもつかんでいると思います。ただ、これが将来的にどっちに向かうのか、本当に「社会主義市場経済」の威力を発揮して社会主義に向かうのか、多くの人たちがいちばん考えていることではないか、と思いましたから。

 不破さんが「世界でまだ誰も歩き通したことのない道」と特徴づけた、世界史のうえでの新しい挑戦ですからね。

緒方 どこをどうやっていったらいいのか。いまやっていることをどうしたら理論づけられるのか、南京での中国の研究者のみなさんとの対話でも、その問題意識を大いに感じました。

 経済の現実でも、さきほど活気の話が出ましたが、その半面、“一時帰休者”と呼ばれる失業者の存在や社会的な経済格差の広がりなど、大きな問題になっています。格差の問題では、最近、詳しい調査報告が出たばかりです。意欲的な挑戦をするなかで、知恵をつくして解決すべき問題も多くある、そこにもみんなの意欲を感じましたね。

次号につづく


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