日本共産党

2002年9月21日(土)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(5)

中央委員会議長 不破哲三

26日 戴秉国中連部部長との会談(下)


写真
「宴会」方式で、夕食をともにしながら懇談する不破哲三議長(左)と戴秉国中央対外連絡部長(右)=8月26日、北京市、北京飯店

 「宴会」方式での話し合いの利点の一つは、形式的な段取りをぬきにして、論点を自由に移動させながら、日本と中国、世界がいまぶつかっている問題を自由自在に話し合えることだ。この日の「宴会」でも、たがいに取り上げた問題は、国際問題、外交問題の広範な分野におよんだ。

「唐の時代」をふりかえって

 朝鮮問題についても、私が、北東アジアの平和と安定という角度から問題を提起したのにこたえて、戴秉国(たいへいこく)部長が、「そう詳しくはないが」と遠慮がちに言いながら、北朝鮮の事情について、自分の経験をもとに率直に語ってくれたのは、ありがたかった。四年前の訪中の時とは違って、この間に、二〇〇〇年五月、二〇〇一年一月と金正日総書記の二回にわたる訪中があり、戴秉国さん自身が何回も会って話し合っての話だけに、たいへん貴重な話が聞けたと思う。

 対日関係では、一九七二年の国交正常化以来、比較的順調に進んでいた「中日関係」に、九〇年代も後半に入って波風が立ちはじめたことへの悩みが、いろいろな角度から語られた。

 中国の人たちは、中国の歴史のなかから現在への教訓をくみとる話をよくする。日本の一部に見られる「中国が発展したら脅威になる」という議論について、戴秉国部長が、「唐の時代」(七世紀〜十世紀)をふりかえりながら語った次の言葉には、深い思いが感じられた。

 中国が共産党指導下にある国だから、中国が発展すれば脅威になるという見方に、日本の為政者がもし立ったら、中日関係はなかなかうまくゆかない。中国の歴史で、一番繁栄したのは唐の時代だった。日本が多くのことを中国から吸収して、それが日本の利益につながったのは、その時代だった。だから、中国が発展したら、それは日本の発展のチャンスになるのではないか。逆に中国が発展せず、旧ソ連のようにばらばらに解体したりしたら、それこそ日本にとっても災難になる。

 日本の為政者は、おだやかな気持ちで中国の発展を見守りつづけてほしい。日本と中国は地理的にも文化的にも近い関係であり、こういうことは他の先進国との関係にはないものだ。両国はそれぞれの強みをもっていて、それをプラスしあえば、さらに大きなものがもたらされると思う。

野党外交で国際政治の真実に迫る

 私が提起したアメリカの戦略への見方をはじめ、世界論でも話がはずんだ。

 世界のいろいろな問題について話し合いながら、強く実感したのは、私たちがこの数年来展開してきた外交活動が、国際政治の真実にせまるうえで、政府間外交とは違う、一つの有力な意味をもちえた、という点である。たとえば、私は、最近の経験として、次の話をした。

 昨年秋、東京のトルコ大使館のレセプションに出席したとき、サウジアラビアの大使が「不破さんたちの手紙は国王に確実にとどけました」と話しかけてき、「サウジアラビアも日本もアジアの国、心は一つです」と語った。手紙とは、対テロ戦争に反対した私と志位委員長との連名の手紙のことだ。

 ちょうどそのころ、緒方さんがパキスタンを訪問していたので、国際電話がかかってきた時、その話をしたところ、緒方さんがたいへん驚いて、「自分は湾岸戦争の時、不破委員長の手紙をもってサウジアラビア大使館を訪ねた。大使は会ってくれたが、五メートルもの長い机越しに話をする。なぜか、と聞いたら、“私たちは、共産主義者とは席を同じくしないことになっている”という返事だった」との話。東京とイスラマバードで、大きな変化を喜びあった。

 戴秉国部長は、「非常に大きな変化だ」と身を乗り出した。公的な政府間外交ではとらえ得ないイスラム世界の変化の一面を、この話から実感したようだった。

 (つづく)

 


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