日本共産党

2002年9月23日(月)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(7)

中央委員会議長 不破哲三

27日 社会科学院での学術講演(下)


“けがの功名”で会場がなごむ

 講演は、午前九時半に始まった。社会科学院の高層ビルの一階にあるホールが、講演の場所。始まるころには、百人ほどの研究者たちで会場は満席になった。特定の研究所ということではなく、いろいろな研究所から横断的に参加しているとのことだった。若い研究者たちの顔が多く見えることも、今後の理論交流を考えて、うれしいことだった。

 私が講演の冒頭、「こんにちは。日本共産党の不破哲三です」とあいさつすると、通訳の林信誠さんが、「こんにちは。日本共産党の不破哲三です」と日本語で復唱。会場の空気が笑いとともに一気になごんだのは、“けがの功名”というところだった。緊張もあっただろうが、最初、社会科学院の側を代表しての孫新(そんしん)さん(日本研究所党委員会書記)のあいさつの通訳も、林さんがつとめ、中国語を耳で聞いては日本語で語る通訳を続けた惰性で、私の講演に移った時も、つい日本語で“通訳”してしまったらしい。

 話しながら、会場を見渡すと、通訳する前にうなずいたり笑ったりの反応を示してくれる人が、何人もいる。講演の前半は、レーニンの取り組みの経過的な説明、後半は、理論的な問題点のいくつかの解明にあてたが、みなの表情は真剣である。

市場経済の二面性に関連して

 市場経済というものは、資本主義への道にも、社会主義への道にもなりうるという、二面性をもっている。だから、現在の中国を見て、「市場経済が栄えているから資本主義だ」などと言うのは、この二面性を知らない皮相の議論である。しかし、社会主義をめざす政権のもとにあるからといって、市場経済が社会主義に結びつくことが自動的に保障されているわけではない。

 後半ではまずこの問題を取り上げ、「市場経済を社会主義への道とするには、何が必要か」――この点をめぐるレーニンの研究を紹介した。レーニンが、国のリーダーとして、実際に市場経済に取り組めたのは、一年半にも満たない短い期間だったが、彼が残したこの時期の文章には、大胆でち密な、また展望のある考察が満たされている。おそらく中国での「社会主義市場経済」の理論と実践でも、時とともに、この分野の位置づけが重要になってくることが、予想される。

理論と笑いは世界に共通する

 つづく問題としては、社会が社会主義に到達した時、市場経済はどうなるのか――将来の問題ではあるが、社会の未来を見通すうえでは、いまでも大事な問題を取り上げた。

 労働の生産性や企業の生産の成績をはかるのに、市場経済に代わるモノサシがあるか、これは、実は、旧ソ連がスターリン時代以後、六十年の時間をかけても解きえなかった難問である。ソ連では、製品の重さをモノサシにした時期が、かなり長くあった。生産のノルマは達成されるが、できた製品は、家庭用のシャンデリアであれ、工業用の機械であれ、重くて使いものにならない。フルシチョフが書記長だった時代に、党の中央委員会総会で、「こんな状態でいいのか」と怒りの声をあげた報告が、いくつも記録されている。

 しかし、その後も事態はあまり改善されなかったようで、七〇年代に、私たちが経済視察団をベトナムに送った時、ソ連から送られた田植え機がその重さのため田んぼにズブズブ沈む光景をみて、あきれたことがある。

 党本部で開催している「代々木『資本論』ゼミナール」の商品流通論の講義のさいに、この話を紹介したら、満場爆笑だった。中国でも反応はまったく同じ、くりかえしの笑いから爆笑となった。理論も笑いも、国際的な共通性をもつことの実証である。(つづく)

 


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