日本共産党

2002年10月5日(土)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(19)

中央委員会議長 不破哲三

28日 唐外相と外交政策を論じる(三)


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釣魚台国賓館で、唐家セン外相(右側)と「会見」方式で話し合う不破さん=8月28日

アメリカの「国際戦略調整」をどう見るか

 唐外相の話を聞いて、私は、「十二項目」のなかで、中国側が、アメリカ問題を「アメリカの国際戦略調整について」と題していた意味が腑(ふ)に落ちた。私は、最近の戦略的な変化の研究かと思っていたが、そうではなくて、ソ連崩壊後のアメリカの戦略の変化(調整)について意見を交換しよう、との意味だったのである。

 唐外相の話を、私は、多少不破流のまとめになるかもしれないが、次のように聞いた。

 ――ソ連の崩壊後、「米ソ対決」という国際対決の最大の緊張の根源はなくなった。本来なら、アメリカにとっても、ソ連や中国を「潜在的脅威」と見てこれとの対抗を重点とする従来型の戦略は必要なくなったはずだし、実際的にも、戦略課題をテロ反対とか大量破壊兵器の拡散防止、アメリカ本土防衛などに移そうとする変化もある。また世界の大国間の協調を重視する考え方を打ち出してもいる。ブッシュ大統領は、四カ月間に二回も中国に来ており、十月には江沢民総書記の訪米で三回目の首脳会談をおこなうことになっている。

 ――だが、そういう変化の半面、一国主義の行動、覇権主義の姿勢などは変わらないし、ロシアや中国をひきつづき戦略的な目標とする動きも、表だってではないが、続いている。また、イラクにたいする軍事攻撃の世論づくりも強まっている。

 ――こういうなかで、中国としては、外交分野においても、自国の経済建設の路線と方針を重視し、国の総合的な力を強化しなければならないという観点に立ってすすめている。中国の発展は、安定した国際環境を必要としており、外交は、そういう方向に向けなければならない。しかし、原則までも譲歩するわけにはゆかない。

平和的な中米関係への願望とその覇権主義への批判と

 平和な国際環境づくりのもっとも重要な要として、安定した中米関係への強い要望、そしてまた、それに矛盾するアメリカの一国主義的な行動は抑制しなければならないという現実政治の要請――このなかで、的確な道を模索する努力が、そこには、にじみ出ていた。

 聞きながら、私は、四年前の首脳会談の際に、クリントン大統領の訪中で「米中の戦略的パートナーシップ」を確認しあったことを、喜んで語った江沢民総書記の表情を、そしてまたその翌年、アメリカが先頭に立って対ユーゴ戦争を開始し、ベオグラードの中国大使館が爆撃された時、「人民日報」に発表された評論員論文「アメリカ覇権主義の新たな発展を論ず」(一九九九年五月二十七日付)の鋭い論旨を、思い浮かべた。

 昨年の対テロ報復戦争で、全体としては協調的な姿勢をしめしてきた中国が、今年一月、ブッシュ大統領が、一般教書演説で、イラク、イラン、北朝鮮への「先制攻撃」をほのめかす「悪の枢軸」発言をしたとき、新華社の論評(二月三日付)と外務省報道官の論評(二月四日)で、これを、国連憲章の基準にてらして許されない軍事計画として批判したことも、あわせて私の頭に浮かんだ。

呉・越の戦いでの“臥薪嘗胆”の教訓とは

 唐外相が、さらに話を続け、中国の古代の呉・越の戦い(前五世紀)のなかから、“臥薪嘗胆(がしんしょうたん)”の歴史を引いたことは、深い印象を刻むものだった。“臥薪嘗胆”とは、戦いに敗れて父を失った呉の太子・夫差(ふさ)が、毎夜薪(たきぎ)の上に寝て再起を誓い、その夫差に敗れて会稽(かいけい)で降伏した越王勾践(こうせん)が、今度は、いつも苦い胆(きも)を身近においてこれを嘗(な)め、ついに呉を打ち破って「会稽の恥」をそそいだという、春秋時代の故事から来た言葉である。唐外相が、「二千年のあいだには情勢は変わった。中国と越との国際的地位には雲泥の差がある」と断りながらも、あえてこの故事を引いたのは、平和をまもるために必要とあれば、たえがたいことでも、がまんすべき時がある、という意味だったと思う。

 日本で中国通といわれるなかには、中国を、これが自分の立場と決めたら、テコでも動かない頑固派のように描きたがる論者も少なくない。しかし、現実の中国外交は、勾践の精神も歴史の教訓の一つとしてくみ取りながら、なにがベストの選択かという問題について、真剣な模索と探究を続けている――そのことを強く感じさせる話だった。

 (つづく)

 


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