日本共産党

2002年10月6日(日)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(20)

中央委員会議長 不破哲三 

28日 唐外相と外交政策を論じる(四)


できるだけ論点をかみ合わせて

 次は私が発言する順序になる。唐外相の詳しい説明に感謝しつつ、「アメリカの国際戦略調整」についての、私たちの見方を話した。最初に一言述べたあと、林さんが中国語に通訳するのを待ったら、「この席では通訳不要」とのこと。中国側の出席者は、みんな日本語が分かるらしい。おかげで時間を効率的に使えた。

 私が話した大筋は、第一日に戴秉国(たいへいこく)部長との会談でも話したことにつながるが、今度は中国側の問題意識が示されたあとなので、できるだけ論点をかみ合わせることに努めた。まず私が「アメリカの戦略は、外交上の戦略・戦術の面では複雑な動きがあるが、この間の軍事戦略には明りょうな一貫性があると思う」と言うと、唐外相は深くうなずく。それから、その軍事戦略がどこから始まり、現在どこまで来ているかについて、かいつまんで話す。

 ――父親の方のブッシュ大統領の時期、一九八九年に、ソ連崩壊にそなえた新しい軍事戦略を立てよ、との指示が、統合参謀本部に出されていた。その眼目は、アメリカの覇権的地位を誰にも脅かさせないために、巨大な軍事体制を維持しつづけることを、何をもって正当化するか、という点にあった。

「ならずもの国家」論から「先制攻撃」戦略まで

 ――軍部が最初に出した答えは、「ソ連にかわる敵」は見つからない、というもの。それではダメだと検討をかさね、ブッシュ政権の最後の時期に、結局、いくつかの国を「ならずもの国家」に指定し、それと対抗するという新戦略に落ち着いた。

 ――この新戦略は、クリントン政権にうけつがれ、アメリカの「死活の利益」をまもるためには、国連の決定を待つ必要なしという一国行動主義などに具体化された。一九九九年にヨーロッパにおける「新戦略概念」の採択や日本へのガイドライン立法の押しつけはこの線上のものだった。

 ――対テロ報復戦争は、この本筋とは別個のもので、アフガニスタンは「ならずもの国家」のリストに入っていなかった。また、私たちは、テロにたいして戦争という手段で対抗することに反対したが、アメリカはこの報復戦争については、国連の権威や「自衛」論をもちだすなどして、その正当化につとめた。

 ――だが、イラクなど三国を名指しして攻撃の対象とした「悪の枢軸」発言以来、問題は新しい段階に入ってきた。標的が「ならずもの国家」にもどったというだけでなく、アメリカの単独行動から、さらには「先制攻撃」の権利まで主張するようになった。これは、まったく国連憲章にもとづく平和のルールをくつがえす行為となる。

写真
アメリカ国防総省の「核態勢見直し報告」(上)。「極秘」として伏せられた部分を民間団体が入手し発表したが、そこに中国を名指しで攻撃対象とした文章があった(下の傍線部分)

中国まで“核先制攻撃”の対象国家に指定される

 ――さらに重要なことは、今年国防総省が発表した「核態勢見直し報告」(一月)と「国防報告」(八月)が、中国を名指しで、核先制攻撃の対象になりうる国家として、あげたことだ。理由は、“中国がやがてはアメリカの軍事上のライバルになる可能性をもっている”ということだけ。世界のどんな国であれ、国連憲章のルールを破らせないようにしなければならない。国連憲章が明白に破られるときに、もしも世界がそれを黙認してしまったら、世界は安定性を失い、乱れた国際社会になってしまう。

 ――私たちは、中国が、ソ連解体後の世界平和の新しい枠組みとして、軍事同盟によらない、そして国連憲章のルールをまもることを柱にした、「新安全観」を提唱してきたことに注目してきたが、二十一世紀の世界の平和秩序をきずく上でも、いまは重大な地点に立っている。

 私は、こういう提起をしたうえで、国連憲章のルールの破壊を許さない、という点では、いま世界で共同の戦線を大きく広げることができるだろうということを、私たちの外交活動の経験もまじえながら話した。

地方をふくめ、中国の複雑な現実をよく見てほしい

 唐外相は、問題提起に直接には答えず、「昨日、イラクの大使と会ったが、いい会談ができた」と述べて、主題を日本の政局論などに移す。これは、“続きはあとの首脳会談で”という意思表示と読めた。しかし、発言中の中国側出席者の表情やうなずき方には、この対話で双方の問題意識のかみ合いぶりが、十分に表れていたように思う。

 会食での最後の話題は、私たちの今回の訪問の日程のことになった。「今回は会談が中心で北京だけ」と説明したことから、唐「それは残念だ。ぜひ北京以外、とくに遅れた地方を見てほしい」、不破「今回は“話す”こと専門の訪問だったが、次回は“見る”こと専門の訪問にしようか」、唐「いや、不破さんが来て、そんなことは不可能だ」、不破「では、“話す”ことと“見る”ことを組み立てた日程を組もう」。

 こんな問答になった。地方行き――それもいわゆる観光のためではなく、中国の複雑な現状を見るための視察は、今回会ったほとんどの人から口ぐちに勧められたことである。

(つづく)

 


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