2002年10月7日(月)「しんぶん赤旗」
江沢民(こうたくみん)総書記との首脳会談は、午後三時の予定。ハイテクパークの視察に朝出発してからすぐ唐外相との昼食会が続き、宿舎に帰る間もない日程だったから、北京飯店にもどってあわてて身支度し、党・政府の中枢部である中南海に向かう。ここは、私も初訪問のところである。
首脳会談というのは、それだけの孤立した会談ではない。
ここにいたる一連の会談は、中国側では、第一日の戴秉国(たいへいこく)部長との会談も、さきほど終わった唐家セン(とうかせん)外相との昼食会も、それ自体、その当事者との重要な意見交換であるうえ、ある意味では、首脳会談への準備段階と位置づけられている。戴秉国部長が、「会談」から「宴会」へ移るとき、「重要な話であり、江沢民総書記にも報告したい」とすぐ述べたように、少なくとも大事なポイントはすべて江沢民総書記のところに報告されるしくみになっているようである。
同行した筆坂さんは、先日おこなった「日曜版」での三人座談会(九月二十二日号)のなかで、「中国の人たちは、違った立場の意見をよく聞いて、それを現実とつきあわせ、必要なあらゆるものを吸収し、自分たちの立場の発展に役立てようという弾力性を非常に持っていますね。だから、意見交換や対話のしがいがある」と感想を述べていたし、緒方さんは「率直にものを言い合う、そのことを通じて、結論が生み出されてゆく経過をみて、私は十三億の国民をリードする一番の中枢にある人たちの息づかいを身近に聞いた醍醐味(だいごみ)というか、なにかそういうものを感じました」と語っていた。
この二つの感想は、一連の会談で話し合いをかさねてきた私自身にも、共通するものだった。
中南海の会議室では、江沢民総書記が、満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。中連部の戴秉国部長、王家瑞(おうかずい)筆頭副部長、裘援平(きゅうえんへい)副部長、劉洪才(りゅうこうさい)副秘書長などの面々も、ならんで握手を交わす。王副部長とは、三月に東京で会談をしたばかりの仲、裘副部長は第一日の戴部長との会談で同席したし、劉副秘書長は、一九九八年の正常化交渉の最初の時から話し合ってきた人で、訪中の時には、車に同乗しての“車中会談”を最もひんぱんに交わした一人である。王副部長と劉副秘書長は、今回は、この席ではじめて顔をあわせたから、どうも外国訪問から一緒に帰国してきたところのようだ。
カメラのフラッシュの放列のなかで、あいさつを交わしたあと、江総書記が、「不破議長の訪問を歓迎します。お会いするのはこれで三度目になりますが、この間、国際情勢は大きく変わっています。そこで、不破議長のご意見をまずおうかがいしたい」と口火を切る。
それを受けて、私は、簡単なあいさつの言葉を述べたあと、「提案にしたがって」私の方から問題提起の話をはじめた。会談は、私と江総書記が、中央のいすに座り、同席の一行はその左右に扇形に座る「会見」方式である。話しながら、中国側の人びとの表情がよく見えるのは、この方式の利点の一つだろう。(つづく)