2002年10月19日(土)「しんぶん赤旗」
敬老院での「北国の春」には、日本に帰ってからの後日談がある。
遠藤実さんとのおつきあいは、五年前、遠藤さんが役員をつとめる「再販制度廃止反対」の大会に、政党代表としてあいさつにいった時からのことである。遠藤さんは、私がその時のべた「再販制度」廃止反対の論拠が気に入ったと、たいへん喜んでくれた。
その懇談のさい、私は、浅草の国際劇場(いまはなくなっている)で、千昌夫さんの歌謡ショーを聞いた話をした。実は、国際劇場は、その時の演(だ)し物と抱き合わせでないと、会場を貸してくれないので、墨田区の都議候補が後援会の集会を開いたとき、千昌夫ショーを聞くめぐり合わせとなったのだった。
レパートリーの柱はやはり「北国の春」。アンコールの声にこたえて、三十分も延長戦をやる熱演ぶりだったが、全部終わって顔をあわせた時、「不破さん、最後まで聞いていてくれたんですか」と握手をかわした――そんな話をした。ところが、遠藤さんが「知っていますよ」という。「千がすぐ『今日は不破さんに聞いてもらった』と飛んできましたよ」。
こんなところから始まったおつきあいだった。
私は、日本に帰ってすぐ、例の楽譜とその情景を写した数枚の写真をそえて、遠藤さんに経過説明の手紙を書いた。遠藤さんからは、折り返しという感じで返事の手紙がとどき、そのなかに、「北国の春は発売されて二十五年がたちますが、アジア諸国でいまだに色あせず愛唱されております。作曲者としてうれしい限りです」と書かれてあった。遠藤さんのこのご返事も、敬老院で「北国の春」を歌っていたみなさんに、機会があったらお知らせしたいものである。
四季青郷が誇りとしているのは、ここに、中国でも有数のハイテク農業の拠点があることだ。
私たちは、敬老院に続いて、ハイテク農業の視察に向かった。着いてみると、「北京錦綉大地農業股分有限会社」という物々しい名称の会社である。例の三分類でいえば、「民間ベンチャー」の農業版という位置づけになろう。
副総経理、つまり副社長の王玉忠さんの案内で、まず花の促成栽培の「工場」、ついで野菜の水耕栽培の「工場」と広い社内を歩いた。どこも、「工場」の名にふさわしい広大な規模をもっている。花の栽培で普通五年かかるものが、新方式では三カ月でできるなど、現場で一つひとつ説明されるその生産性の高さは、科学・技術の十分な裏付けをもっているようで、技術者のグループの役割を思わせた。ここには博士の資格をもつ技術者、研究者が四人いるとのこと。案内してくれた王副社長も、その四人の博士の一人だと、あとで聞いた。
「生産性の高さは分かるが、従来方式とくらべて、コスト面ではどうか」、「この種のハイテク農業を応用する可能性はどれだけあると思うか。気象条件など、地域的、環境的に特別の条件は必要か」。私のこれらの質問に、王さんは、「コストは大幅に低下した」、「環境条件に特別の制約はない」など、自信をにじませて答えるが、同時に、この種の企業は、現実には中国ではまだきわめて少数で、この会社が、大きな流れを背景にもった存在ではなく、全国的にみて突出した性格をもっていることの説明も、くわえてくれた。
帰りぎわにもらった資料を見ると、私たちが視察したのは、この会社が取り組んでいる事業のごく一部らしい。
もちろん、説明にあったように、こうしたハイテク農業は、現在の中国では、量的には、農業全体の大海のなかの、貴重な一滴でしかないのだろう。何回となく話に出るように、中国の農業人口の大部分をしめる内陸部では、労働力への依存度の多い従来型の農業が、支配的だという。その意味では、これは、突出した実験的な企てという位置づけになるかもしれない。しかし、そういう実験的な試みがあえておこなわれ、それが現に企業化されているところに、私は、新しい課題に大胆に挑戦しようとしている中国の「社会主義市場経済」の活力を印象づけられた。