日本共産党

2002年10月22日(火)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(35)

中央委員会議長 不破哲三

29日 「赤旗・北京支局」を訪ねる


パトカーつきの黒い公用車の列では……

 ともかく二十九日の午後――正確にいえば、インタビューのある午後五時までは、「機動」である。相談の上、中国を初訪問の筆坂さんは「万里の長城」への“独り旅”に出かけ、残る四人は北京の街を歩くということにして、午後二時ごろ宿舎を出た。

 しかし、街を歩くという計画はうまくはゆかなかった。私の心づもりでは、「しんぶん赤旗」の元北京支局員として街に詳しい林さんを道案内に、土人形の古いものでも探せたらと考えたが、やはり、出かけるとなると、パトカーつきの黒い公用車の列ということになる。これでは、気安く骨とう店歩きもできない。結局は、「友誼大廈」という外人向けの商店に行って、北京でいま製作されている現代風の土人形をいくつか買い求めた。三国志の関羽、観音、寿老人などである。

新僑飯店の「北京支局」の風情

 「しんぶん赤旗」の北京支局が近くだというので、帰りに支局を訪ねた。支局長は、道案内として筆坂さんについていったので、“留守”宅の急襲ということになった。

 新僑飯店の三階にある支局は、きちんと整理されていて、書棚には、本もかなり整備されている。ならんでいる中国語版の「馬克思・恩格斯(マルクス・エンゲルス)選集」と「列寧(レーニン)選集」を引き抜いてみると、どちらも、九〇年代に中国で独自に編集されたものだった。

 ゆっくりしようとすると、「その前に仕事を」と、午前中の「四季青郷」訪問の記事原稿が机の前におかれる。多少は、私の記憶にあわせて、補足したりするが、庄子編集局次長の指揮下の記者陣は、場所がどこかなどとは関係なしに、すきを見つけるとすぐ「仕事」をもちこんでくる“熱心さ”がある。

 先日の「日曜版」(九月八日号)には、北京飯店のホテルの壁で、私が記事原稿に書きこみをしている写真がのったら、私の後ろで「仕事ぶり」を監督している庄子さんの姿を“背後霊”のようだ、と評した人がいた。この写真は、実は、こういう図柄の好きな緒方さんが、面白がって撮ったものだ。

 お茶などごちそうになって、北京飯店にもどる。

中国国際放送のインタビューを受ける

 五時の定刻に、国際放送局のみなさんが訪ねてきて、私の部屋でインタビューを受けた。中国国際放送とは、まだ国交も結ばれていなかった数十年前のころに、「北京放送」とよく呼ばれていたものらしい。インタビューは、十月に、党大会に先行する特集番組のなかで放送される予定だとのこと。

 質問された内容は、(一)当面する日中関係および両国関係の未来について、(二)この四年間の交流・往来のなかで、とくにどんな点に印象を受けたか、(三)この訪問は、まさに中国共産党第十六回大会の直前におこなわれたが、この大会が、両党関係の発展にどのような影響をあたえると考えるか、の三点だった。

 私は、第一問では、日本と中国の友好は、両国それぞれにとっても、アジアの平和的な発展にとっても不可欠のものであること、その立場から四年前の訪中のさいには、

 「日中関係の五原則」を提唱したこと、などを、第二問では、「社会主義市場経済」のもとでの経済の活力ある発展に深い印象をうけていること、この道にいろいろな意見をいう人がいるが、私は、道理にかなった意欲的な挑戦だと見ていること、を話した。

 第三問は、外国の党大会の評価にかかわる問題であり、しかも、まだ開かれておらず、なにが決定されるかを知らない大会についての質問だから、質問者は、気楽に問題を出しているようだが、答える側にとっては、工夫を必要とする“難問”である。

 私の答えは、次のとおり(こちらには、記録はまったくないので、記憶によった)。

 ――党大会は、その党が自国の国民に、また世界の平和にたいして責任を負う立場から、方針を決定するもので、それぞれの党にとって節目としてのたいへん重要な意義をもつ。今度の党大会で、この立場から的確な方針が打ち出されるならば、そのことが、両党の関係にとっても、発展的な意義をもつだろうことを、確信している。

 インタビューが終わったら、そろそろ王家瑞(おうかずい)副部長主催の晩さん会に出かける時間になった。(つづく)

 


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