2002年10月23日(水)「しんぶん赤旗」
私たちが宿泊しているのは、北京飯店のA棟だが、飯店はずっと西に翼をのばしていて、昨夜記者会見をおこなったのは、A棟の西側のB棟だった。今夜の晩さん会は、さらに西に連なる別棟・貴賓楼で開かれる。帰国前夜にあたっての、中連部としての送別の宴である。
北京飯店の一階には、一本の通路がすべての棟を東西に貫通しており、そこを散策しながら、貴賓楼三階の会場・王府の間にむかう。
会場に着くと、王家瑞副部長、李軍さん、劉洪才さん、趙世通さんら、顔なじみの中連部の方々がそろって出迎えてくれた。ここから、「会見+宴会」方式のうちの「会見」の部がまず始まる。
王「いそがしい日程でしたが、お元気そうに見える。滞在は疲れませんでしたか」。
不破「大丈夫です。日程は普通です」。
王「私たちの方が疲れました」。
不破「それは、接待する側が気を使うからですよ。客の私たちの方は、その点のんきですから」。
そんなあいさつから、王副部長はすぐ今回の訪問の意味に話を移した。“四年ぶりの訪問だったが、中国は変化が大きいので、不破さんの意見をいろいろ聞きたいと思っていた。自分は昨日ラテンアメリカから帰ってきたばかりで、同席したのは、江沢民総書記との会談以後のことだが、参考になった点、啓発された点も多い。今後とも貴党との意見交換を大いに発展させてゆきたい”という趣旨の、総括的な話だった。
私は、それに答えるとともに、今後の交流のあり方について、今回お互いにえた成果をふまえての提案をおこなった。
不破「お互いに意見交換をすることは、大きな重要性をもっていると思います。十二項目の問題提起を受け、その準備をして訪中しましたが、十二の問題について話をする点では、たしかに日程にいそがしいものがありました。この四年間にいろいろな交流をおこなってきましたが、じっくりと話し合いをする機会は持てませんでした。今回多面的な意見交換ができたことは、非常に重要な意義をもったと思います。
今後は、必要な時には、機動的に話し合いができるようにしたい。前回の訪問の時は、関係正常化の直後で、三十二年間の空白があったことを考えて、『お互いに白紙で研究し合おう』ということを私の方から提起したものでしたが、今回は、交流が始まったという段階から、さらに深い関係に足を踏み出したと思っています」。
不破「日本と中国は、本来、近い関係にある国です。地理的にいっても、私の家から成田空港まで、普通は車で約四時間かかりますが、成田から北京までは三時間で来ました。(笑い)
これからは、何か突っ込んだ話し合いをする必要があると思ったら、こちらからも率直に申し入れるつもりです。あなたがたも、問題が十二項目もたまる前に(笑い)、せめて三項目ぐらいのところで申し入れてきてほしい(笑い)。私たちは、そういう心構えでいるつもりです」。
王「まったく同感です。不破さんのいろいろな蓄積の剰余分を、うまく搾取して活用したいですね」(笑い)。
不破「科学的社会主義は、社会主義になったら、労働者の搾取はなくなることを展望していますが、両党関係に役立つ搾取なら、私は、いくら搾取されても、痛みを感じませんよ」(笑い)。
予想外の「搾取」論まで飛びだしての談笑のうちに、舞台は「会見」方式から「宴会」方式に移行した。(つづく)