2002年10月29日(火)「しんぶん赤旗」
趙啓正主任の言葉は続く。
――マスコミなどで、「中国は、いつも日本に文句を言っている、中国はたえず歴史問題で日本に謝罪を求めてくる」などと書かれるが、中国は、現世代の日本人にたいして、前の世代がやったことの謝罪を求めることはしない。
――ただ、一部の日本人にせよ、「過去の戦争が正しい」とか「南京大虐殺は認めない」などという認識や発言が出てくることは、これからにとって危険だ。あの戦争で、中国では多くの人が死に、中国の人たちは強い恐怖感をもっている。だから、そういう間違った認識がもちだされれば、反論せざるをえない。
――歴史問題というのは、テニスにたとえれば、日本がつねに「サーブ」(最初に攻撃)をして、中国が「リターン」(打ち返し)するという関係だ。靖国問題がなければ、「教科書」問題がなければ、私たちの側から何かをいうことはない。
趙さんの提起に答えるためには、かなりまとまった時間が必要だろう。大事な会議の席を抜けてきた趙さんに、それだけの余裕があるだろうか。「時間はどれだけあるか」と尋ねると、「不破さんが決めてください」との返事。「では、空港へゆくのに間にあう範囲で話しましょう」というと、緊張して語り続けた趙さんの表情にも笑いがこぼれた。
不破「あなたは、政府と党の両方にわたって対外関係を担当されている珍しい方だと聞いています。また、あなたと私は、十年ほどの時間差はありますが、共通点があるようです。大学で理論物理学を専攻したのは同じです。ただ、あなたは、この道で成功し核工業などの分野に進んだが、私は成功しないで政治の世界に入りました」(笑い)。
趙「日本の物理学界には偉大な人がいます。湯川(秀樹)さんとか、坂田(昌一)さんとか」。
不破「いまでも、そのあとを継ぐ人が多くいます」。
こんな自己紹介をまじえた対話のあと、私は、「いま出された日中間の友好関係を発展させる問題は、共通の大問題だ」と言って、本題にはいった。
――日本と中国が、長い交流と友好の歴史をもっていることは、あなたの言われたとおりだ。共通の文化的基礎も強くある。世界でいま、漢字を常用しているのは、日本と中国だけだ。日本人が中国に旅行に来て、言葉を知らないでも、街で文字を見ればなんとなく分かる。こんな関係にあるのは、中国だけだ。最近は、たがいに違った略字を使って読みにくいということもあるが。日中の関係は、本来、広く温かく長い関係で、友好関係が発展する大きな可能性のある間柄だと思う。
――一九四九年、中国革命が成功したとき、同じく社会主義を名乗っていても、日本国民が中国を見る目とソ連を見る目はまったく違っていた。明らかに好意的だった。当時は、あの戦争を反省しない人たちがいても、そういう発言はあまりできなかった。しかし、いまの情勢は明らかに違ってきている。
私は、「こういう懇談の席だから率直にいうが、二つ原因があると思う」と述べ、まず、中国の側の問題について、考えていることを話した。
――「文化大革命」と天安門事件があった。「文革」の時には、攻撃された幹部が三角帽子をかぶせられ、手を後ろに押しあげられて引き回される状況が、マスメディアで毎日のように報道された。ただ、この時は、新聞の写真だったし、間もなく、日中の国交が回復した。そういうことはあっても、当時は、「文革」の中国を批判するものは、政党では私たち以外にはなかった。
こういうと、趙さんは、ちょっと怪訝(けげん)な顔をした。あとで経歴を確かめたら、この時期は、趙さんにとっては、大学を出て核工業の分野で働いている最中になる。毛沢東派の干渉で、私たちと中国との関係がどうなっていたのか、実感的な知識はなかったのかもしれない。しかし、余分の説明はぬきにして、私は話を続けた。
――天安門事件は、さらに大きかった。毎日毎日、事件にかかわる映像がテレビに映しだされる。その影響には圧倒的なものがあった。この事件が、国交回復後の日中友好の発展の過程にありながら、中国にたいする日本国民の友好の気持ちを冷え込ませる役割をしたことは間違いない。
私のこの指摘にも、趙さんは表情を動かさず、真剣に耳を傾けている。(つづく)