2003年7月4日(金)「しんぶん赤旗」
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六月二十七日、カイロ中心部にあるアズハル・モスク前。金曜日の集団礼拝を終えた人々が自然発生的に集まります。その数ざっと千人。「米英占領軍によるイラク市民の殺害は許さない」「占領軍はイラクから出て行け」の唱和を繰り返しました。
「イラク戦争を許すなと立ち上がったアラブのエネルギーと米政府への怒りは今も生きています。日々大きくなっています。声にならない怒りの広がりは私自身の心の中でも同じです」―エジプトの有力週刊誌『オクトーバー』のラガブ・アル・バンナ編集長は語気を強めました。
同編集長が力説するアラブのエネルギーとは何だったのか。
エジプトではデモや集会は原則禁止です。一九八一年の故サダト大統領暗殺事件以来、非常事態令が続いているからです。そのカイロで初めての本格的な反戦集会があったのは今年一月十八日。世界三十数カ国で行われた国際行動に呼応したものでした。この時の参加者は約千人で、警戒の治安部隊の方が多い状況でした。
しかし、これ以降は回を重ねるごとに参加者が増え続け、二月末には全国から集まった十五万人がカイロ国立競技場を埋め尽くしました。
「集会に参加して分かったのは、唯一のスーパーパワー(超大国)といわれる米国の力は実際には弱くて、世界でわきおこった戦争反対の声の力こそスーパーパワーだということでした。特に米政府が『アラブ全体を民主化する』なんていいだしてからは、こんな道理のない戦争をたくらむ米国こそ民主化が必要じゃないかって、さらに力が入りました」
一連の集会に参加してきたという就職活動中の女性、ヘイバ・ノウェルディンさん(23)はいいました。
このエネルギーは、当初デモを弾圧していた政府を動かしました。三月五日には政府与党が加わった集会が開催され、参加者は百万人にふくれあがったのです。開戦前後には、大学教授などの知識人グループが相次いで戦争反対の声明を発表し、その流れはエジプトの裁判官組合にまで広がりました。
アラブ諸国には戦争を止められなかったある種の「敗北感」が広がっているとの指摘も一部にあります。各国首脳から米英のイラク占領を厳しく非難する言動が聞かれないのも事実です。しかし国民レベルでは、米国による中東支配のもくろみへ怒りのマグマが動き出しています。
冒頭のアル・バンナ編集長は「米国はイラクの長期占領と中東の『民主化』を宣言しています。われわれにはイラク占領と米国による中東の再植民地化といえるような事態を受け入れることなど到底できません」と繰り返しました。
イラク戦争反対デモの先頭に立ったカイロ大学法学部の女子学生、アマニィ・アティアさん(23)は「私たち学生はイラク占領にどんな態度をとるべきか、イラク国民を支持するために何をすべきかを訴える呼びかけを準備しています。これをもとに集会やデモも積極的に行っていきたい」と抱負を語ります。
(カイロで小泉大介 写真も)