日本共産党

2003年8月27日(水)「しんぶん赤旗」

チュニジアの七日間(3)

中央委員会議長 不破哲三

熱暑のチュニスに到着して


写真

日本共産党代表団をチュニス空港で出迎えるアブデルラティフ・ハマムさん(左)。右は不破さん=7月27日

空港での出迎え

 七月二十七日午後零時すぎ、チュニス空港着。タラップを降りると、熱風がどっと顔にぶつかってくる感じ。セ氏四五度。覚悟はしていたが、聞きしにまさる暑さである。

 タラップ下まで出迎えてくれたのは、外務省アジア局のムハマド・アンタル次長。日本語で「不破議長、ようこそ」とあいさつされたのには、驚いた。聞けば、三年前のベンヤヒア外相の訪日のさい、在日大使館勤務で、私と外相の会談の席にも同席していたとか。自分の名前について、日本語で「あんた」と言ってもらえば覚えやすい、と笑わせる。なかなかの日本通である。

 空港はいろいろな国の代表団でごったがえしているが、案内された貴賓室での出迎えは、立憲民主連合のアブデルワハーブ・ジャマール副書記長。「不破議長を団長とする日本共産党代表団のわが党大会への参加とチュニジア訪問を心から歓迎する」と丁重なあいさつ。私が「お招きに感謝します。あなたがたとの友好を深め、よく理解しあう機会にしたい」というと、「チュニジアの現実を、この機会によく見ていただきたい」と答え、「チュニジアは資源のない国で、あるのはよき男とよき女、つまり人材しかない。とりわけ二十歳以下の青年が全人口の約半分を占める。歴史が古いが、国は若々しい」と続ける。

 簡潔だが、この国のみごとな自己紹介である。「よき男女、人材」の言葉は、その後もしばしば耳にしたが、チュニジアの国づくりへの意欲と方向が感じられる言葉だった。

 ホテルには、チュニジアの日本大使の小野安昭さんが出迎えに出てくれて、恐縮した。一カ月前に赴任したばかりで、前任地は中東のバーレーンだと聞いた。大使館には、日本のマスコミ情報を毎朝とどけてもらうなど、滞在中、たいへんお世話になった。

“四五度は普通”

 続いて、首相府顧問のアブデルラティフ・ハマム氏が登場、自分が私たちの滞在期間中の世話役だと自己紹介する。チュニジア・日本友好協会の副会長もつとめているという。

 「チュニジアは、カルタゴの国、ハンニバルの国、アラブ・イスラムの国、アフリカの国、地中海の国」と、国の歴史的、地理的な特徴をあげたのち、「国民は、いつも西ヨーロッパを見ており、その現実を知っている」と、イスラム世界のなかでの独自の立場を説明する。やはりチュニジアを代表するスポークスマンである。

 「この暑さはこの時期のチュニジアでは普通のものか」と聞くと、ちょっとちゃめっ気を顔にのぞかせながら、「普通です。みなさん、耐えられるでしょうか」とおどかすような口調で言う。「日本よりは暑いが、なんとかなるでしょう」と応えたが、あとで、いろいろな人から、今年の暑さは、チュニジアでも“異常気象”なのだということを聞いた。

 四五度というのは、確かに暑いのだが、何日か過ごしてみて、日本の暑さとはかなり違う性質のあることに気がついた。夕方、日が落ちるとすっと暑さが引くし、日中でも、太陽が小さな雲のかげに隠れただけで肌が涼しさを感じる。日本的に暑さを夜に引きずることはない様子だ。これが、日本のように、大気に熱がこもるといった状況だったら、とても「耐えられる」ものではなかっただろう。

外国代表団の全員がホテル「ル・パラス」に陣取る

 空港から向かったのは、空港から車で三十分ほどの地中海岸、新しいリゾート地域のガマルタに立つホテル「ル・パラス」。

 私たち日本代表団の六人には、三階(階の数は「零階」から始まるから、チュニジア風に言えば「二階」である)の六つの部屋が割り当てられた。私の部屋からは、海岸から水平線まで地中海の光景が窓いっぱいに広がる。波打ち際の波の寄せ方は、たいへん静かなように見える。地中海は水の総量が少ないので、月の引力の作用が弱く、潮の干満が弱いという解説を読んだ記憶がある。波の静かさはその影響かもしれない。

 諸外国の代表団の全員がこのホテルに宿泊するようだ。代表団の総数は、あとで約八十カ国、百九十代表団と発表された。団員一人という団もあれば構成の多い代表団もあるが、それだけの人員はゆっくり収容できる大型のホテルである。

 宿舎のこの状況は、私たちの“外交”活動にはたいへん具合がよい。私自身はこれまでに外国の党大会に参加した経験は二回しかないが、一九七六年のベトナム共産党大会の場合には、各国代表団の宿舎が個別の迎賓館に分かれたために、代表団どうしの話し合いはごく例外的にしかできなかった。これにたいして、一九八二年のユーゴスラビア共産主義者同盟の大会の場合には、全員が一つのホテルに陣取ったので、ホテル外交が自由自在にできた。こんども、“地の利”を活用して新しい友人たちとの交流がかなり活発にできそうである。

 世話役のハマム氏と、翌日の日程の打ち合わせをする。食事をすませて朝七時半に集合。大型バスに分乗して大会会場に直行する、という段取りである。「朝七時半ですよ。時間はシャープ(正確に)」が、今日の別れの言葉となった。この「シャープ」はハマム氏のお得意で、毎回のように連発するから、私たち代表団のあいだでは、「シャープさん」の名前で通用するようになった。(つづく)


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