2003年9月13日(土)「しんぶん赤旗」
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中国代表団との会談には、ホテルの会議室を拝借しておいた。
馬文普団長は、中央対外連絡部の副部長で、自分の担当は、アフリカと中東だと自己紹介する。交換した名刺によると、馬団長は、中国の全国人民代表大会(日本の国会にあたる)でも、外交副委員長をつとめているとか。
「私自身は初対面だが、私たち中国共産党の中連部のものは、不破議長のことをよく知っている。私は後輩にあたるわけで、こうして会談できたことは、大変な名誉だと思う」と、謙虚なあいさつをしたうえで、「この機会に、中国共産党総書記・国家主席の胡錦濤同志からのあいさつをお伝えします」と語る。
私は、胡錦濤総書記への返礼のあいさつを述べた。わが党が中国共産党とのあいだの歴史問題を解決して党関係を正常化したのは五年前の一九九八年、その時には、日本での私と胡錦濤氏との瞬時ではあったが劇的な対面(四月)、北京での正常化交渉にさいしても中国側で総指揮にあたったこと(六月)、私の三十二年ぶりの訪中での首脳会談の第一幕(七月)など、胡錦濤総書記が果たした役割は特別のものがあった。昨年の訪中では、直接対面の機会はなかったが、おたがいに丁重なあいさつをかわしあった。
私は、チュニジアとの交流の歴史をはじめ、四年前の私のマレーシア訪問や昨年の緒方代表団の中東歴訪など、日本共産党のイスラム諸国との関係を簡潔に述べた。
これにたいして、馬団長は、関係を正常化してからの五年間に、日本共産党が果たしてきた役割を自分たちがどう評価しているか、を語り、両党関係をさらに発展させるために、自分たちはどんなことでもする用意がある、と述べた。
そして、「不破議長がこれまでに三度訪中したことを知っている。この間の関係発展のなかで、ぜひ新しい訪問をされることを、心から要請したい」という。もちろん、中国共産党の中央を代表しての公式の招待である。
私は、この要請にこたえて、「私たちの側でも、そのことを考えていた。昨年の三回目の訪中のさい、中国側から四年ぶりの訪中ということでは、訪問と訪問のあいだが長すぎる、と言われた。そこで、王家瑞部長(当時副部長)と話したときに、今後は、必要を感じたときは、もっと機動的な形での訪中を提起する、ということも述べた。いま世界には、日本と中国にとって切実な北東アジアの問題をはじめ、イラクや中東の問題など、多くの問題が存在しているので、いまうかがった訪中の要請には真剣に対応したい。その時期や内容の問題は、今後話し合ってゆこう」と答えた。
馬団長は、続く発言のなかで、中国共産党が、「文化大革命」をふくむ一時代に、対外政策においてどんな誤りを犯してきたかについて、簡潔に、しかしきわめて率直に述べた。その時期の誤りを、意見の違いを理由に他の党を敵視する「極左の誤り」と特徴づけ、それによって日本共産党との関係を断絶させた、とする説明だった。そして、「いま日本共産党との関係は発展しているが、私たちは、その時期の誤りを鑑(かがみ)にして、自らを見ている」と述べた。
馬団長が語る「対外政策における誤り」についても、それを是正してきた経過についても、私たち自身の経験として、また歴史の客観的事実として、私たちが知っていることだった。しかし、中国共産党の当事者の口から、肉声でこれだけ詳しい包括的な総括を聞くのははじめてのことであり、私は深い感慨をもって、その説明に耳をかたむけた。
馬団長は、そこからの結論として、日本共産党の名をあげて、次のことを強調した。「これまでの経験と過去の教訓は、すべての党の対等平等の関係を維持することがいかに大切かということ、その点で、日本共産党が発展させてきた理論、強く主張してきた対等平等という問題が、いかに重要かということを、示している」。(つづく)