2003年9月15日(月)「しんぶん赤旗」
七月三十一日、到着第五日目を迎えた。
朝、大会の会場に向かう。前日の中央委員(総数二百三十二人)その他の役員選挙の結果が発表され、ベンアリ大統領の閉会あいさつがおこなわれた。
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あいさつの基調は、開会演説と共通。大会が提起した諸課題を「われわれの活動の道程の新たな段階」と意義づけ、「神の加護によりともに取り組んでゆこう」と訴えた。意義づけのこの言葉は、翌日の党機関紙に、閉会あいさつの主見出しとして取り上げられていた。
閉会あいさつは、「コーラン」からの、開会演説と同じ引用で結ばれた。
「全能の神は述べたもうた。『意思のままになせ。アッラーは汝(なんじ)の働きを見たもう。そしてその忠実なるしもべ預言者も見たもう』」。
やはり、イスラムの国の政権党の大会の締めくくりの言葉である。
大会の全日程が終わったあと、会場出口で、立憲民主連合の指導部のあいさつを受ける。まずハメド・カルーウィ第一副党首。政府の首相の経歴をもつ人物である。「私たちの大会への参加にたいへん感謝しております。今後、私たちの党と日本共産党との友好関係をいっそう発展させることを願っています」のあいさつに、「意欲的な大会が成功をおさめたことを祝福します。今後、両党の関係を強めましょう」と応える。
次に、アリ・シャウシュ書記長。チュニスからの招待状に署名のあった当の人物である。書記長の任務の大変さは経験上心得ているつもりなので、「良い大会が終わったあとは、その決定の実行がたいへんな仕事になりますね」と語りかけると、「そのとおりです。これからますます多忙になりますよ」とにこやかな答えが返ってきた。
私たちの出発の予定は、明後日八月二日の昼すぎ。一日半のゆとりがある。この間に、ベンヤヒア外相から“ぜひに”と勧められたカイラワンなどの古都訪問を計画したいところだが、大事な政治日程が残っていた。約束していた外相との会談である。
大会中には、外相の日程が定まらず、大会終了の直後に、「一日の午前中に会いたい」との連絡があった。では、一日はそれに当てようか、と考えていると、間もなく、再度の連絡があり、「すまないが、予定を繰り上げて、今日の午後にできないか」とのこと。午後五時から外務省で会うことになった。おそらくたいへん多忙だと思われる大会直後の日程をやりくりしてくれたようである。
この日程に応じて、翌一日の行動計画をたてる。外相は二つの古都への訪問を提案していたが、地図をにらんで見ても、二つあわせての視察は無理である。しかも、その日は、チュニジア出発の前日、夜は、荷造りをはじめ、なにかと帰国の支度も多い。カイラワンでも、チュニスから南へ百六十キロの距離があり、そこからシーア派が拠点としたマハディアまで足を延ばしたのでは、比較的近い地域にあるとはいえ、とても夜までには、チュニスに帰りつけない。
ハマム氏の知恵も借りて、ホテルを朝七時半に出発して、カイラワンを視察し、帰りにハマメット、ナブールの二つの都市を通って帰るプランを設定した。ハマメットは、ハマム氏がぜひにと推薦し続けている都市、ナブールはチュニジア一の陶器の産地というのが魅力、どちらも帰りの通り道にあたるから、夜八時ごろまでにはチュニスに帰れる計画だと、ハマム氏の保証つきである。
計画をたて終わったところで、ちょうど時間、外務省にむかって出発した。(つづく)