日本共産党

2003年9月24日(水)「しんぶん赤旗」

チュニジアの七日間(30)

中央委員会議長 不破哲三

古都カイラワンの探訪 (下)


写真

ナブール市の「陶器街」を歩く

知事から質問の連続―「日本共産党の力は?」「古い党か?」

 少し南にまわって、ラッカダ博物館(イスラム美術博物館)を訪ねたあと、市内のホテルへもどる。アウアル知事主催の昼食会である。

 知事は、国会議員時代に日本を訪問したことがある、という。日本共産党について、熱心な質問。まず、「日本共産党の力は?」が第一問。「党員は約四十万人、国会議員は四十名で、日本の主要な七つの政党のなかで第四位、地方議員は約四千二百人で、これは第一党だ」と答えると、驚きの表情をありありと浮かべる。党員数や「しんぶん赤旗」の部数、世界各地に特派員を送っていることなども、興味深いニュースだったようだ。

 続く第二問は「古い党か?」というもの。「一九二二年の創立で今年八十一周年を迎えた。第二次大戦の前は、戦争反対と民主主義が理由で、非合法だった。ほかの党は、戦争に協力したために、戦後も同じ名前で活動を続けることができず、全部名前を変えて再発足した。その後も、多くの党には、離合集散の歴史があるから、日本では、私たちの党がいちばん古い党だ」と答えた。

 アウアル知事は、「それは知らなかった、知らなかった」とつぶやきながら、しきりにうなずく。

 そんなことから、日本の情勢、経済から労働運動の様子まで質問が続き、話題は広がった。

オリーブ油と 「クスクス」

 食事は、典型的なチュニジア料理だ。前菜はチュニジア・サラダ。知事は「これを使うと若返る」といって、しきりにオリーブ油を使うことをすすめる。オリーブ油は、チュニジアを代表する農産物で、オリーブの栽培はフェニキア・カルタゴの時代にさかのぼる三千年の歴史を持つとか。もちろん、知事の勧告には忠実にしたがった。

 やがて、メーンの料理としてクスクスが出てきた。蒸したセモリナ粉(小麦でつくられるという)に、羊の肉をのせ、野菜シチューをかけた料理で、チュニジア料理の代表格のようだ。先住民のベルベル人が紀元前、それもカルタゴの時代以前から食べていたものだとのこと。三千年の歴史は、ここにも顔をのぞかせている。

 昼食会を終わって、アウアル知事の手厚い歓迎に心からの謝意を述べた。知事の別れのあいさつは、「日本共産党について知る、よい機会になった。次回は、もっとたくさん時間をとって訪問してほしい」である。

 そのあと、暑い日中を避けるために、そのホテルで一時間ほどの“休養”の時間が設定されていた。これも、ベンヤヒア外相の特別の指示によるものらしい。ありがたくお受けして一休みしたあと、午後三時ごろ、カイラワンを出発、ボン岬半島の南側のつけ根にあるハマメット、ナブールの二つの都市を経由して帰路についた。

ハマメットにチュニジア的開発を見る

 ボン岬半島は、チュニスの南側を、まっすぐシチリアに向かって突き出ている半島で、先日、カルタゴ探訪のさい、シディの丘からチュニス湾越しに眺めたのがそれである。この半島の先端とシチリア島との距離が約百十キロメートル、地中海はここでもっとも狭くくびれている。

 南から入ると、その入り口にあたるのがハマメット。十九世紀以来、ヨーロッパでもよく知られた海浜のリゾート都市だが、その南側に、チュニジア政府が十年がかりの計画でいま新リゾート地区の開発に力を入れている地区があった。チュニジアのことなら何でも見せたいハマム氏に案内されて、新地区のホテル群や旧市街の商店街など、いそがしく見て回る。

 開発といっても、日本式の手当たり次第の「開発」はない。「リゾート開発は、各地でやっているのか」と聞くと、チュニジアの海岸線の総延長は何キロメートルで、人工的な部分は何キロメートルとすぐ数字が飛び出し、開発はごく限定された規模でやっている、との返事。観光重視の国だけに、自然と歴史遺跡の保護には特別の注意を払っていることは、その口ぶりからもうかがえた。

陶器の都市・ナブール市で

 次は、隣接のナブール市。チュニジア随一の陶器の産地で、市内の中央を「陶器街」と呼ばれる「ファルハット・ハシェド通り」が東西に走っている。ここは、ハマム氏の故郷で、自分も陶器づくりをやると言い、街の商店の様子にも詳しいようだ。

 訪問の記念にと、チュニジアの雰囲気をたたえた風情のつぼを買う。両手でかかえるようなつぼである。この「チュニジアのつぼ」のナブールから成田までの「輸送」には、緒方さんに大いにお世話になった。『資本論』ではないが、緒方さんの「輸送」労働がつぼに「つけくわえた付加価値」は、おそらく購入価格よりも大きくなったにちがいない。

 夜八時半、ホテルに帰館。そのあと、チュニスに出て、在チュニジア日本大使公邸で、小野安昭大使夫妻やチュニジアとの経済・文化協力などで活動している日本人たちと懇談の機会をもつ。大使のほかは初対面の方がたばかりだったが、チュニジアのこと、日本のこと、話題が世界を飛びかう席となった。(つづく)


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