2004年2月23日(月)「しんぶん赤旗」
日の丸が振られるなか、イラクに“出征”する迷彩服の自衛隊員たち。二十一日に出発、二十二日にはクウェート入りしたその姿がテレビ画面に映し出されました。陸上自衛隊本隊の主力部隊第一陣です。戦後初めて、日本の軍隊が海外で他国民を殺す危険のある任務につく―。そこに込められた政府の狙いを探ります。
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「失敗は許されない。最強の布陣を敷くというのは当然だろう」。政府高官は、陸自のイラク派兵部隊の編成についてこう語ります。
どこが「最強」なのか。
たとえば、イラク派兵部隊の指揮官となる番匠(ばんしょう)幸一郎一佐。北海道の名寄駐屯地司令と同駐屯地の第三普通科連隊長を兼務していました。前出の高官は「最北端の駐屯地で(北の守りの)最前線だ。部隊も大きいから(陸自で)もっとも優秀な人間が就くとされている」といいます。米陸軍戦略大学への留学経験があり、「米軍にも顔が広い」(関係者)人物。「将来の陸上幕僚長(陸自のトップ)候補」(前出の高官)という評価もあります。
特異なのは“国防族”といわれる政治家とのつながり。石破茂防衛庁長官は陸自本隊への隊旗授与式(一日)で「私の長年の友人。私が最も信頼する自衛官の一人」と絶賛。自民党の安倍晋三幹事長も著書『この国を守る決意』で「以前からの知り合い」だと明かし、「まさに自衛隊の逸材」「これは衆目の一致するところ」とのべています。
政治家が一自衛官を「逸材」「友人」と評するところに、大手を振りはじめた“軍事”が垣間見えます。
それだけではありません。陸自派兵部隊には、防衛庁が公表しているだけで、番匠一佐を含め三人の一佐が配置されています。一佐とは、旧日本軍でいう大佐にあたる階級です。
一月十六日にイラクに派兵された陸自先遣隊の佐藤正久隊長もその一人です。ゴラン高原での国連平和維持活動(PKO)に派兵された第一次隊(一九九六年)で隊長を務めた経験もあります。
イラク入りしている清田安志一佐も、陸上幕僚監部の広報を務めていました。
普通科(歩兵)連隊(約千二百人)を指揮する一佐が、その半分の規模である派兵部隊(約六百人)に三人も配置されているのは、異例です。
イラクの民衆に銃を向け、自衛隊が初めて海外で「殺し、殺される」(小泉純一郎首相)危険がある任務。だからこそ、異例の手厚い幹部配置が必要だというわけです。
自民党の安倍幹事長は「日本からはベストの人材を出す、ということです。この事実は、今回のイラクへの自衛隊派遣には、大きな意味があるということを語っている」(前出の著書)と強調しています。
「大きな意味」とは―。一月八日、日本外国特派員協会の講演で石破防衛庁長官は語りました。
「(海外派遣を)自衛隊のメーンの活動の一つとして位置づけるべきなのかどうか。今回、この(イラクでの)活動が成功するということになれば、それが日本における自衛隊の活動のメーンになる可能性があるだろう」
イラク出兵は、地球規模での海外派兵を自衛隊の中心任務にするための試金石―。それは自衛隊派兵の恒久法にも「大きな影響を与える」(石破長官、同講演)のです。