2006年4月20日(木)「しんぶん赤旗」

筆坂秀世氏の本の虚構と思惑

浜野 忠夫


 筆坂秀世氏の著書『日本共産党』は、党の内部をよく知る者の“客観的な日本共産党紹介”という体裁を取っているが、端的にいえば、党に敵対する転向者、変節者にお決まりの、虚偽に満ちた自己弁護と党攻撃が、その主要な内容である。この本の何よりの“売り”が、日本共産党のトップの内情をよく知る筆者によるものだという点だから、以前から常任幹部会で活動し、筆坂氏にかかわるセクハラ問題の調査や処分を直接担当した私から、若干の反論をしておきたい。

セクハラ問題での開き直り

 筆坂氏のセクハラ事件は、党の重要幹部が引き起こした不祥事として、党内外に大きな衝撃を与えた。筆坂氏は、本のなかで、国民との接点で苦労して活動している党員の気持ちに深い理解を寄せているかのようにいうが、それが装いに過ぎないことはすぐわかる。それら苦労している党員・支持者にはかり知れない困難をもたらした自らの不祥事についてのおわびの言葉も、反省もない。それどころか、肝心の被害女性への謝罪さえない。あるのは党への非難なのである。

 「同席した秘書も、その女性が…大いに楽しんでいたと証言している。それがなぜセクハラという訴えになったのか、今もって不可解というしかない」――訴えたのがおかしい、何か裏があったに違いないというのが、氏がこの本で表明している今の心境なのである。

 氏のセクハラによる被害者からの訴えを受けて、志位委員長、市田書記局長、それに私の三人がただちに筆坂氏に会って事実をただすと、氏は率直に事実を認めた。その際、みずから「常任幹部会委員も参議院議員も辞める」といい、涙を流して悔悟の気持ちをのべたのである。そして、事件後最初の常任幹部会会議(二〇〇三年六月九日)の席上、氏が読み上げた「自己批判書」には次のようなくだりも含まれていた。

 「(今回のような行為は)程度の差こそあれ、これまでもあったことを否定できません。ただ、これまでは、誰からも訴えられることはなかったというだけです」

 「私が、共産党に入党した時には、理論的にも未熟そのものでしたが、いまよりもはるかに誇りをもっていたように思います。共産党員である以上、『まわりの人から尊敬されるいい人〔に〕ならなければ』『悪いことはしない』『俺たちが日本の未来をつくるんだ』『みんなのために献身的に働く』等々、本音でそう思って活動していましたし、勉強もしました。だからこそ頑張れたのだと思います。/ところがいまはどうかといえば、この原点というか、この気持ち、姿勢が欠如してきていることが、今回のことにつながっているのではと、いま思っています」

 「女性にたいする自分の感情です。そう強く自覚していたとはおもはないのですが、たとえば、『女性は可愛ければよい』『所詮、女は色取り』というような蔑視があったのかもしれません」

 「今回の私の行為は、どうにも弁解できないものであり、また、弁解するつもりも毛頭ありません。…入党の原点をたえず見つめなおす必要があると考えています」「いかなる処分も受け入れる覚悟です」

 事件後二度目の常任幹部会会議で、筆坂氏の党中央委員罷免・議員辞職勧告という方向を決め、市田書記局長と私が筆坂氏に会ってそれを伝えた際も、氏はそれを素直に受け入れた。処分を決定する幹部会会議と中央委員会総会に出席し、弁明する権利があることを伝えたが、「弁明することはない。出席しない」と明言し、「党にたいへん迷惑をかけた。申し訳ない。忙しいときにこんなことで手をわずらわせて…」などとのべて、涙ながらにわれわれと握手を交わしたのである。私は、このときの彼の言葉や態度は、当時の彼の偽りのない真情だったと思っていた。

 しかし、この当時の自己批判の言葉・態度と、今回の本での言い分が、正反対のものであることは明白である。氏は今度の本のなかで、「共産党員といえども人間である以上、恋もすれば、遊びもするし、酒も飲む。その結果、時には活動をサボタージュしたり、誤りだって犯すこともある」としたうえで、日本共産党内での「自己批判」という問題に言及している。

 「そうそう簡単に自己批判をすることなど、本当に可能なのだろうか。…自己批判なるものを突き詰めていくなら、それまでの自分の生き方、歩み、性格そのものを否定することにだってなりかねない」「(いまの党内では)『自己批判』すらも形式的になり、建前にしか過ぎなくなっているのだ」。自分の自己批判も本心ではなかったですよという予防線のつもりだとすれば、氏の人間性の根本が問われよう。

 氏は、本のなかで、氏の議員辞職の際あるいはその後、氏に記者会見をさせなかったという党の対応にかんして、「共産党からはめられていた猿轡(さるぐつわ)」などの語も使いながら、この対応のために「最後のプライドまでズタズタにされてしまった」とうらみをのべている。あの当時記者会見して“自分ははめられたのだ”といいたかったとでもいうのだろうか。当時の氏の心境からすれば、ただただ謝罪するしかなかったはずではないか。記者会見すれば、セクハラの具体的内容について根掘り葉掘り尋ねられ、それが結果的に、被害者の二次被害を強めることにしかならないことを心配して、止めたのである。

 氏は、「(離党したのは)プライドを取り戻したかったからだ」「プライドを持たない人生などありえない」などと、「プライド」を繰り返している。ここでいう「プライド」が、自己批判のなかでいった「誇り」とはまったく別物であることは明白である。

 氏が党員としての本当のプライド、誇りをもっていたとするなら、傷ついた氏のプライド、誇りは、氏自身の党内での地道な努力によってのみ回復しうるものだった。常任幹部会は、その道をけっして閉ざすことはしなかった。しかし、筆坂氏は、結局その道を進むことができず、いま、自分ではなく党の方が間違っていると主張することで、自分の「プライド」を取り戻そうというのだ。党攻撃によって自らの正当化をはかってきたこれまでの転向者、変節者たちと、何ら変わるところはないのである。セクハラ問題にかんして、氏は、当初の反省を完全にかなぐり捨てて開き直り、党が悪いと主張しているのである。

偽りの“内幕”話のねらい

 筆坂氏の本に付された帯には、「これが実態だ! 元・最高幹部が赤裸々に明かす『革命政党』の全貌」という文字が躍っている。筆坂氏を励まして離党を勧め応援している人々が、なによりも期待するのは、「共産党ナンバー4」だったと自認する筆坂氏が、日本共産党の指導的中枢の“赤裸々な内情”を、恨みを交えて暴露することである。氏の出版を報じた各紙の見出しも、「共産党批判本」あるいは「暴露本」「内幕本」などとして扱っている。

 もともと日本共産党には、「ナンバー1、2、3…」などという序列はない。党の規約にもとづく任務の分担、機能の分担はあっても、身分的な序列や上下関係はないのである。筆坂氏のように、自分のことを「最高幹部」「ナンバー4」などと自認し、売り物にするような人はいない。それは、筆坂氏が常任幹部会委員、政策委員長などの任務を、身分のように考えていたことの証しでしかない。

 宮本顕治氏引退の経緯にかんする筆坂氏の「暴露」が虚偽であることは、すでに不破前議長の昨日付「しんぶん赤旗」の文章で明白に証明している。「内幕本」「暴露本」の一番の“売り”がこの程度なのだから、他は推して知るべしである。

 筆坂氏は、常任幹部会会議で「志位氏が議題のまとめをするたびに、不破氏が『僕は違うな』といってひっくり返す」「これが週一回の会議のたびごとに繰り返される」、そのために志位氏は「ついにまとめができなくなってしまった」などと書いている。これもマスコミ受けを狙った筆坂氏一流の偽りである。

 筆坂氏が常任幹部会のメンバーだったのは、九七年九月の第二十一回党大会後から、中央委員を罷免された〇三年六月までのことである。志位氏が委員長になったのは、〇〇年十一月の第二十二回党大会以後のことだから、筆坂氏はこの大会以後の二年半を問題にしているようだ。

 常任幹部会の会議では、常に率直な討論がおこなわれている。問題によっては、異なる意見・見解が表明されて議論になることがあるのも当然である。不破氏も、そうした流れのなかで発言している。当時の不破氏が、中央委員会議長としての責任、長い経験と知恵、蓄積に立って出した意見の多くがまとめの内容にとりこまれたのは、当たり前のことである。いうまでもなく、不破氏が意見を出したために、志位氏のまとめができなくなったなどということは、一度もない。毎回、議論のあった問題には志位氏がまとめをし、それが「常幹会議要旨報告」となって中央役員や党本部の各部局の責任者に届けられている。

 筆坂氏が、常任幹部会の“内部事情”をあれこれいいたてるねらいは明白である。自分を、そういう常任幹部会の不当な処分の犠牲者に描き出して、「筆坂=被害者」論をひきたたせるとともに、あわせて、党中央の“対立”を宣伝し、日本共産党の信用を落とす――ここからすけて見えるのは、反共派の立場に身を落とした者の、おなじみの謀略的手口である。

党員への「共感」を装うが…

 筆坂氏は本のなかで、「こつこつと地道に活動している党員や地方議員には、いまでも素直に頭が下がる思いだ」と語り、氏をたずねて来る党員や地方議員から聞いたと称する苦労話への共感などをのべている。さらに募金、党勢拡大、選挙などの活動について「一般党員」への同情をにじませるような口調で、あれこれならべたてたうえで、筆坂氏が最後にのべる結論は、つぎのようなものである。

 「共産主義社会などまったく将来の展望がないのだから、無理をせずに、強がらずに、普通の国民に好かれて、国民のために活躍する政党になればよいではないか。国民もそうなることを望んでいる」

 日本共産党は、世界の資本主義国にも例を見ないような異常さを特徴とする自民党政治、大企業本位・アメリカいいなりの政治への確固とした対決者であり、そうした政治の変革を当面の目標としている。さらに、日本共産党は、資本主義の害悪そのものをも乗り越える確固とした未来展望をもって活動する党である。

 支配勢力は、この日本共産党を何よりも恐れ、マスメディアをはじめあらゆる力を動員して、封じ込めようとしてきた。

 日本共産党が活動のなかでぶつかる困難とは、なによりもこの政治条件から生み出される困難であるが、どんな困難をも恐れず、どんな攻撃にも負けず、ねばり強い活動によって国民との結びつきを広げ、前進と勝利への大道を歩みつづけるところに、戦前・戦後の不屈の伝統に裏付けられた日本共産党の本領がある。いま、全国の党員と党組織は、この自覚にたって、党綱領と第二十四回党大会決定を導きに、気概にもえた献身的な活動に立ち上がっている。

 その時に、筆坂氏はいうのである。“そんな活動などやめてしまえ、日本共産党には展望がないのだから、困難をおして活動してもむだだよ”。筆坂氏の「日本共産党」論が、誰を代弁しての「日本共産党」論であるかは、このよびかけ一つ見ても明りょうではないか。

 筆坂氏は、本の結びで「今後、いかなる道を歩むのか、私にもまだ分からない…」と記している。しかし、氏が党の道から完全に離れ、変節と転落の道をひた走っていることは、明白である。(幹部会副委員長)


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