2018年2月26日(月)
シリーズ 憲法の基礎
9条2項 広島・長崎の経験
日本国憲法が公布された1946年11月、内閣の「法制局」が『新憲法の解説』を発行しました。その「第二章 戦争の放棄」について、次の一節があります。
「原子爆彈の出現は、戦争の可能性を擴大(かくだい)するか、又は逆に戦争の原因を終熄(しゅうそく)せしめるかの重大段階に到達した」「識者は、まづ文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと眞劍(しんけん)に考えてゐる」
まさに核時代に突入する中で、戦争と人類は共存できないという認識が9条成立の背景にあるのです。
46年3月20日、枢密院で行われた幣原(しではら)喜重郎首相の帝国憲法改正案「説明要旨」は次のように述べていました。
「原子爆弾ノ発明ハ世ノ主戦論者ニ反省ヲ促シタノデアルガ、今後ハ更(さら)ニ之ニ幾十倍幾百倍スル破壊的武器モ発明サレルカモシレナイ」「他日新タナル兵器ノ偉力ニ依リ短時間ニ交戦国ノ大小都市悉(ことごと)ク灰燼(かいじん)ニ帰シ数百万ノ住民ガ一朝塵殺セラルル惨状ヲ見ルニ至ラバ、列国ハ漸ク目醒メテ戦争ノ抛棄(ほうき)ヲ真剣ニ考エルコトトナルデアラウ」
幣原は、核戦争で数百万の人間が一瞬にして殺されるときが来ると警告したのです。そのうえで、諸国がいつかは憲法9条が示す大道についてくる、としました。こうした発言は、日本国憲法制定(明治憲法改正)議会の審議でたびたび出てきます。
45年4月~6月にかけて議論され決定された国連憲章は「武力による威嚇、武力の行使」を原則禁止したのに対し、日本国憲法は「戦力不保持」にまで飛躍を遂げています。そこには残酷な侵略戦争への徹底した反省とともに、45年8月のヒロシマ・ナガサキへの人類初の原爆投下という経験が刻まれていました。
核兵器禁止条約が国連で締結されるに至ったいま、改めて9条2項の人類史的重みが浮かびあがります。 (随時掲載)