2018年4月23日(月)
イラク日報
国会報告と食い違い
「火器は107ミリロケット」 → 「弾種不明」
「英・日宿営地に射撃」 → 「外に着弾」
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イラクや南スーダンへの自衛隊派兵の「日報」の探索について防衛省は20日を区切りとしていますが、16日に公表された陸上自衛隊イラク派兵の日報は、宿営地への攻撃が相次いだ2004年分がほとんど公開されていないなど、欠落が目立ちます。これで日報の探索・公表を締め切ることは許されません。(竹下岳)
防衛省が2009年7月に国会提出したイラク派兵に関する報告書は、宿営地内外への攻撃などの「事案」を14件列挙しています。しかし、これらの攻撃が集中した04年4月~05年1月の日報が欠落している上に、日報に記載が確認された事案についても、国会報告との記述の食い違いがみられます。
日本共産党の穀田恵二衆院議員室の調査によれば、国会報告では06年3月29日に「砲弾種類不明の飛翔(ひしょう)音を確認し、宿営地外に1発弾着した可能性」とあります。しかし、同日の事案について記された06年4月2日付日報では、「(英軍の)キャンプ・スミッティと(自衛隊の)サマワ宿営地に各1発の曲射火器による射撃がなされた」「使用された火器は107ミリロケットの可能性が高い」と記されており、攻撃された場所や兵器の種類を明示しています。
また、日報では、05年6月23日に陸自車両付近で爆発が起こり、同年12月4日には陸自車両が群衆と遭遇し、車両に被害があったことが記されていますが、これらの事案は国会報告から欠落しています。
イラク派兵の実態を記録した陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」によれば、12月4日の事案で、群衆の中に「銃を所持している者」が発見されており、陸自は銃への弾薬装填(そうてん)の判断を迫られていたことが記されています。
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多国籍軍情報は全面黒塗り
自衛隊は04年6月18日の閣議了解を受け、米軍が主導するイラク多国籍軍に参加。陸自が活動していたサマワを含むイラク南東部を管轄する司令部(英軍)から連日、管内の情報が提供されていました。首都バグダッドにある多国籍軍司令部(米軍)からも随時、概況が提供されています。しかし、これらの情報は全て黒塗りです。
多国籍軍の指揮下に入ることは「他国の武力行使との一体化」に該当し、憲法9条に違反するというのが政府見解です。このため、当時の政府は「多国籍軍の指揮下に入らない」という「口頭了解」を米英軍から得たとして整合性を図りました。
しかし、陸自の日報には、多国籍軍司令部に派遣された連絡官が綿密なやりとりをしている様子が記されています。多国籍軍からどのような情報をもたらされ、それに基づいてどう動いていたのか、何らかの「指示」があったのか。「違憲」の核心部分は覆い隠されています。
何よりも、武装米兵を含むイラク多国籍軍の空輸を行ってきた航空自衛隊の日報が3日分しか公表されていないことは重大です。