2018年6月23日(土)
沖縄返還後 「核貯蔵・自由出撃権」確保を
69年、キッシンジャー氏 大統領に提案
米国務省が文書を公開
米国務省はこのほど、沖縄返還後も核兵器の貯蔵や朝鮮半島・台湾などへの自由出撃など、米軍が軍事占領下で確保した権限を維持するよう強く要望していたことを示す文書など、1969~76年までの日本に関する外交文書群(米国外交文書資料集=FRUS)を公開しました。
キッシンジャー米大統領補佐官(国家安全保障担当)はニクソン大統領に宛てたメモ(69年3月12日付)で、沖縄の基地の価値は「自由なアクセスや自由な使用に関し、法律や外国政府による制約がない」ことだと指摘。その上で、沖縄が日本に返還された場合、最も影響を受けるのが(1)B52戦略爆撃機のベトナムへの出撃(2)核貯蔵―であり、「沖縄の核貯蔵庫を失えば、太平洋における核能力を低下させ、柔軟性が減少する」「(米軍トップの)統合参謀本部議長は沖縄への核貯蔵の継続を要望している」と述べています。
これらを解決するため、キッシンジャー氏は(1)緊急時における核貯蔵権と全面的な核の通過権(=核兵器を搭載した米艦船・航空機の寄港・飛来)(2)朝鮮、台湾、ベトナムへの「事前協議」なしの出撃の自由を、日本政府が公式に保証する―ことなどを提案しました。
ニクソン大統領と佐藤栄作首相は69年11月21日、緊急時における核兵器の再持ち込みと、嘉手納、辺野古などの核貯蔵庫を常時使用可能な状態に維持するとの密約に合意。佐藤氏はさらに演説で朝鮮半島への自由出撃を容認するなどキッシンジャー氏の提案どおりになりました。
沖縄は51年のサンフランシスコ平和条約で日本から切り離されましたが、60年代の祖国復帰運動の高揚により、米国は沖縄の施政権返還を決断せざるをえなくなりました。こうした中、ニクソン氏は米国家安全保障会議(NSC)に沖縄返還問題の検討を指示。NSCの69年1月21日付メモで、核貯蔵権の確保が課題として記されました。