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2018年8月6日(月)

主張

広島長崎被爆73年

被爆者の悲願、必ず実現を

 1945年8月6日に広島で、9日に長崎で、アメリカ軍が投下した原子爆弾のさく裂による強烈な光線と熱線、大量の放射線、爆風は人々の体を貫き、おびただしい命を奪いました。その日から73年―。被爆者が自らのいたましい体験を語り、核兵器の非人道性を訴え続けてきたことが世界を動かし、昨年7月、史上初の核兵器禁止条約採択につながりました。ふたたび被爆者をつくらない、核兵器のない世界をという悲願を必ず実現するため、世論と運動をさらに強めるときです。

核兵器の最悪の非人道性

 広島で14万人、長崎で7万4000人―。原爆によってその年に亡くなった人々の数です。

 熱線をあびた顔や体の皮膚がぶら下がり幽霊のような姿で壊滅した街を歩く人々の群れ、電車のつり革につかまったまま黒焦げになった人、死んだ赤子を背負い軍の病院にかけこんで息絶えた母親、頭の骨が折れて父母を呼ぶ小学生の弟をみとった兄、崩れた家の下敷きになり火が迫るなか「はよう逃げんさい」と息子に叫んだ親…。

 被爆者の証言ほど、核兵器の無差別的な残虐性を伝えるものはありません。“地獄”の中を生きのびた被爆者は重い病気に襲われ手術をくりかえし、結婚や就職の差別などさまざまな生活の場面で人知れない苦難を受けてきました。被爆の影響が子や孫にまで及ぶことを心配しなければならないなど、非人間性ははかりしれません。

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をはじめ多くの被爆者は、「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い」(1956年の日本被団協の結成宣言)、自身の使命として被爆体験を国内外で伝え続けてきました。被爆者が語る核兵器の非人道性は、核兵器を保有することを正当化する「核抑止力」論を打ち破るうえで、大きな力を発揮したことは明らかです。

 歴史上初めて核兵器を違法化する禁止条約が採択されて以降、被爆者の訴えに世界がこれまで以上に注目しています。平均年齢が82歳を超え高齢化がすすむ被爆者を支え、ともに核兵器のない世界をめざしていくことが必要です。

 唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約への署名・批准を拒む安倍晋三政権の態度は、被爆者の願いに逆らうものです。

 6月の歴史的な米朝首脳会談によって、朝鮮半島の非核化が前進することを被爆者は期待していますが、日本政府はこの点でも役割を果たそうとしていません。非核・平和の声に応える政治への転換が求められます。

国家補償実現に踏み切れ

 被爆者援護での日本政府の姿勢もあまりに冷たいものです。政府の戦争という行為による原爆被害を二度とつくらない証しとして、被爆者は被害への補償を求めてきました。しかし、原爆症新認定基準の下でも、被爆者健康手帳を所持する15万4859人のうち、原爆症に認定されたのは7640人、5%未満です(3月末現在)。

 日本被団協はすべての被爆者に被爆者手当を支給し、症状の程度に応じて加算する制度への抜本的改善を求めています。高齢になった被爆者に裁判を強いることがないように、政府は国家補償の実現に踏み切るべきです。


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