2018年11月2日(金)
「被害者個人の請求権は消滅せず」の一致点で解決に努力を
志位委員長の一問一答
日本共産党の志位和夫委員長は1日の記者会見で、徴用工問題の見解に関し、記者の質問に答えました。
日韓両政府、両最高裁ともに「個人の請求権は消滅せず」では一致
――(日韓請求権協定では)「個人の請求権」が残っているのは日本の最高裁も韓国の大法院も一緒だと思いますが、裁判上の訴求権について日本の最高裁は失っているとする一方、韓国大法院は認めています。委員長としてはこの大法院の判決は当然という考えですか。
志位 裁判上の訴求権の問題については、日韓それぞれの立場があることはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、裁判上の訴求権について認めなかった(2007年4月27日の)日本の最高裁判決でも「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」とし、「任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と指摘しているところが重要です。だから西松建設のような和解も成立したわけです。
「任意の自発的な対応」がもし(判決に)入っていないと、西松建設のような和解をした場合に、株主側から訴えられるという立場にたたされる危険もありますが、「任意の自発的な対応」を最高裁がオーソライズ(公認化)したために和解に道が開かれました。
裁判上の訴求権については日韓の立場に違いはありますが、「被害者個人の請求権は消滅していない」ということでは一致しています。日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院、すべてが一致している。ここが大切なところです。
この問題で不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、「被害者個人の請求権は消滅していない」という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事ではないでしょうか。
国家間の請求権と個人の請求権をきちんと分けた冷静な議論を
――発表された見解の中では、日本政府と該当企業に対する解決方法を見いだす努力を求めていますが、韓国政府に対して求めるものは現段階では何でしょうか。
志位 私たちは、まず日本政府に(党見解に述べたような)要求をしています。
同時に、その解決はもちろん、日本政府だけでなしうるものではありません。日韓双方が、被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いを行っていく努力が必要だと思います。
私は、率直に言って、(徴用工問題の)日本政府や日本メディアの対応を見ると、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題がごちゃごちゃになっていると思います。国家の請求権と個人の請求権をいっしょくたにして、「すべて1965年の日韓請求権協定で解決ずみだ」「個人の請求権もない」という調子で、問答無用の議論になっている。国と国との請求権の問題と、個人の請求権の問題をきちんと分けて考えないと、この問題の冷静な解決方法が見えてこないのです。
先ほど述べたように、日本政府、日本の最高裁、韓国政府、韓国の大法院の4者とも被害者個人の請求権は認めているわけです。だからこの一致点を大事にしながら解決の方法を探るべきです。そこをごちゃごちゃにして、ただ相手を非難するやり方は大変によくないと思っています。
国家間の請求権についてどう考えるか
――共産党として、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場にたっているのですか。
志位 国と国においても請求権の問題は解決していないという判断を下したのが韓国の最高裁判決です。
韓国の最高裁判決は二重にできていて、まず個人としての請求権は消滅していないというのが一つある。同時に、国としての請求権も請求権協定の適用対象に含まれないと判定を下しました。これは2012年の韓国最高裁の判決と同じですが、その立場を表明したわけです。
その論理は、原告が求めているのは未払い賃金などではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な行為――強制動員に対する慰謝料であり、請求権協定の交渉過程で日本は植民地支配を不法なものだとは認めてこなかった、こういう状況では強制動員の慰謝料請求権が請求権協定で放棄した対象に含まれるとみなすことはできないという論理なのです。私は、この論理は検討されるべき論理だと考えています。
私の見解では、この問題について、1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で日本政府が植民地支配の不法性について一切認めなかったこと、徴用工の問題について被害者への明確な謝罪や反省を表明してこなかったという、二つの事実を指摘しています。
ただこの問題について大切なのは、たとえ国家間の請求権問題が解決されていたとしても、個人の請求権を消滅させることはないというのは、日韓とも一致しているのですから、この一致点でまず解決方法を見いだす。そのうえで日本が植民地支配を反省してこなかったという問題が根本的な問題としてあります。植民地支配の真摯(しんし)な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだという、二段構えでの論理で、今日の見解を組み立てました。