2019年3月16日(土)
沖縄・辺野古新基地予定地の西側
豊原地区に活断層の痕跡
立石・新潟大名誉教授が調査
太平洋にせりだした沖縄県名護市辺野古崎西側の対岸、半円形の台地の一角。集落を見下ろす先人たちが眠る墓地・聖地のある小高い丘の側面に、県民の強固な反対の民意を無視して政府が強行する、辺野古米軍新基地建設の実現性を大きく左右する活断層の活動を示す“痕跡”が発見されました。痕跡の成り立ちと住民の思いに迫りました。(山本眞直)
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活断層の疑いが指摘されている辺野古断層、楚久断層の東側(二見、安部地区)、西側(辺野古、豊原地区)を、「応用地質研究会」の有志と立石雅昭新潟大学名誉教授(地質学。調査団代表)が、1日から4日まで調査を行いました。
西側の辺野古・豊原地区の段丘調査に向かう途中、赤土がむき出しになって崩落している崖が目に留まりました。墓地のある丘です。
調査団が注目したのは、砂粒を含む粘土層を挟んだ黄褐色の地層でした。同様な地層は、豊原と接する久志地区の「マルチメディアみらい館」などの崖でも確認しました。
一方、東側ではこのような地層・堆積物を確認できませんでした。調査団は、両断層の東西で異なる地層、段丘堆積物が存在すれば両地域の間に、地震を引き起こす可能性のある活断層が存在しうる―と見込んでいたのです。
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辺野古周辺など県北部に広く存在する平たんな面(段丘)は、40万年前より新しい断層とされています。国の地震調査研究推進本部は2010年に、地震を引き起こしうる活断層の目安を、40万年前よりも新しい地層としています。
立石代表は「両地域の間の断層は国の基準に照らせば活断層と言える」と指摘します。
墓地のある段丘の周辺は、1983年にかんがいのための土地改良が実施されましたが、墓地部分は残されました。墓地には「昭和7年(1932年)に建立」「殿内(とぅんち)家の墓」と彫られた碑がある亀甲墓があります。市内の古老によれば殿内家は、地域の祭事をつかさどる有力な門中(一族の本家)を指すと言います。
久志地区の宮里健一郎さん(78)は自宅の上を低空で旋回する米軍機オスプレイをにらみながら力を込めました。
「安倍政権は口を開けば“沖縄に真摯(しんし)に向き合う”と言うが、実際は県民の民意を踏みにじってばかり。活断層の存在を示す痕跡は、墓地に眠る先人たちからの『あきらめるな』という励ましと思いたい」