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2019年8月6日(火)

主張

広島・長崎被爆74年

被爆者の声にこたえる政治を

 第2次世界大戦末期の1945年8月6日に広島、9日には長崎に、アメリカ軍は原子爆弾を投下しました。二つの都市は一瞬にして地獄と化しました。広島では14万人、長崎では7万4000人もの命がその年のうちに奪われるなど、おびただしい犠牲を出しました。被爆から74年、「命あるうちに核兵器のない世界を」と痛切な願いを訴え続けてきた被爆者の高齢化はすすみ、平均年齢は82歳をこえています。

 来年は被爆75年の節目を迎える中、被爆者の悲願である核兵器廃絶への道をいっそう加速させる機会にすることが必要です。

非人道性と残虐性を訴え

 今年5月、ニューヨークでおこなわれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の濱住(はますみ)治郎事務局次長の発言が注目を集めました。胎内被爆者が初めて準備委員会で体験を証言したからです。

 濱住さんは母親のおなかの中で3カ月の時、広島で被爆しました。「胎内で被爆したからといってその被害から免れることはありません」「被爆者の苦しみ、病気への不安、子や孫への不安は消えることがありません」。核兵器の残虐性、非人道性をあらためて明らかにした濱住さんの発言は、多くの準備委員会出席者に衝撃を与え、その心を動かしました。

 被爆者の長年の活動が、他のなにものにも代えがたい力を持っていることを示しています。

 2017年には人類史上初めて、核兵器を違法とする核兵器禁止条約の採択が実現しました。条約前文では「ヒバクシャ」という言葉が2カ所で明記されました。

 被爆者が犠牲者としてだけでなく、「核なき世界」の創造者としても位置づけられたことは、重要です。被爆者が世界政治を動かしたことを明らかにしています。

 来年は被爆75年であるとともに、5年に1度のNPT再検討会議が開かれる年です。

 最大規模の核軍縮交渉でもあるこの会議で、米英仏ロ中の核保有大国などの逆流に抗し、核兵器禁止条約の発効に向けて力強く進むことがますます必要です。被爆者とともに、核兵器をなくす世論と運動を大きくする時です。

 被爆者がよびかけ、2016年からとりくまれている「ヒバクシャ国際署名」を広げに広げることがいよいよ急務になっています。

 唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器禁止条約への署名・批准を拒む安倍晋三政権の姿勢は、被爆者の願いに背くものです。禁止条約にサインする政府を実現することが求められます。

国家補償の実現こそ

 被爆者援護での政府の態度もあまりにも冷たいものです。被爆者は多くの原爆症認定訴訟で勝利しています。しかし、政府は裁判で負けなければ認定しないという態度です。新認定基準のもと、被爆者健康手帳を所持する14万5844人のうち、原爆症と認定されたのは7269人、5%未満です。(3月末現在)

 高齢の被爆者に裁判を強いるのではなく、ただちに認定基準を改定し、認定制度を抜本的に改善することが求められています。政府は日本被団協が結成以来、要求している原爆被害への国家補償を実現すべきです。


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