2003年11月7日(金)「しんぶん赤旗」
日本共産党の不破哲三議長は六日、京都市北区で行った街頭演説で、日本共産党の自主外交について大要次のようにのべました。
私、こくた恵二さん(比例・京都一区候補)とは一九九三年の当選以来、十年間、国会で一緒に仕事をしてまいりました。みなさんは、国会でのいろんな活動をよくご存じだと思うのですけれども、今日は、こくたさんが日本の外交の第一線に立って、どんな働きをしてきたかご紹介したいのです。それは、北朝鮮の拉致問題です。
今でこそ、拉致問題というのは、日本中だれでも知っています。どの政党も問題にしています。しかし、私ども日本共産党が、一九八〇年代に国会でこの問題をとりあげたときには、拉致問題を問題にする政党はひとつもありませんでした。私たちは、そういう中で、全国の行方不明者の問題を調べあげ、一九八八年、今から十五年前に、参議院で橋本敦議員が徹底的に政府を追及しました。国家公安委員長だった梶山さんがそこで初めて、「これらの行方不明者の問題は北朝鮮による拉致の疑いがある」と答弁し、問題の性格が明らかになったわけです。
私どもはその追及をそれからも続けてまいりましたが、次に大事なのは、この問題をどうやって解決し、拉致された人たちを日本に取り戻すか、この問題であります。
政府の交渉も、なかなかこの問題ではすすみませんでした。九八年の秋、北朝鮮によるテポドン発射という問題がおき、大きな騒ぎになりましたが、そのときには、政府間の交渉も長く中断状態で、日本と北朝鮮の間には何の交渉ルートもなかったのです。交渉もやらないでお互い悪口だけ言っているのでは状況は危なくなるばかりです。私は、そのことを考えて、九九年、国会の代表質問で“北朝鮮との交渉ルートを開こうじゃないか、その中で拉致問題を含め双方のあらゆる問題をきっちり解決しようじゃないか”と、そういう提案を、一月と十一月、二回にわたって行ったのです。しかし政府はなかなか動こうとしませんでした。
その年十一月の末になって社民党の村山前首相が「今度、超党派の議員団を北朝鮮に送ることになった。日本共産党からも参加してもらえないか。不破さんの提案に注目している」、突然こういってきたんです。後で聞いてみますと、私たちが国会で提起しても日本政府が動こうとしない、それを見て、アメリカの政府筋と韓国の政府筋から「日本共産党が国会で提案してるじゃないか。そういう提案がありながら何で動かないのか」といって日本政府に裏からだいぶ働きかけたとのことであります。それが村山訪朝団ということに実ったわけでした。それまでは、北朝鮮訪問というと、だいたい自民党、社民党が中心で、日本共産党に声をかけてきたことが一度もありませんでした。しかし、今度は「日本共産党が入らないと筋が通った交渉はできない」と考えたのでしょうか、初めて声をかけてきたのです。
私どもはもちろん、結構なことですから、すぐ了解して、こくたさんと参議院の緒方さんの二人が参加することにしました。そして代表団の最初の会議でこくたさんが提案して、私たちが主張している通り、“前提条件をつけないで、あらゆる問題を交渉で話し合う、そして解決の道を開こう”という方針が決まり、それで結構だということになって十二月に代表団が北朝鮮に出発しました。
行ってみて、こくたさんと緒方さんは大変驚いたそうです。北朝鮮に行くと「儀式」があるんですね。金日成の大きな銅像や遺体を祭った廟(びょう)にお詣(まい)りしてみんなでおじぎをし、金日成をたたえる文章を書くという「儀式」です。アメリカの代表も行ったら必ずそれをやる、日本の政府代表や議員もそれを当たり前のことにしてきたと聞きました。
しかし自主独立の日本共産党としては、いろいろ問題のある外国の指導者にたいし、これを祭り上げる態度−「個人崇拝」に同調するわけにはいきません。こくたさんと緒方さんが相談して、代表団の団結を守るために、その場所には行くが、おじきはしない、ほめ言葉も書かない、そういうことを決めて参加したそうです。
私は、見てはいませんが、おそらく異様な光景だったでしょうね。自民党も公明党も民主党も自由党も社民党も、みんながおじぎをし、金日成が偉い人だったという文章を書く。どことどこでおじぎをするかの回数まで決まっているとのことでした(笑い)。その中で、日本共産党の二人の代表はついて歩いてはいるが、おじぎもしない、記帳もしない。その違いが大変際立った光景だったと思います。
あとで日本の外務省の幹部がその話を聞いて「日本共産党の自主独立というのはそこまでやるのか。われわれもいつもあれで困ってるんだ」と言ったそうですけども、そういうことを堂々と勇気をもってやったのが、日本共産党の自主外交であります。(拍手)
その日の午後、会談がありました。北朝鮮側は、こくたさんや緒方さんがそういう態度をとってることは、当然報告を受けて重々承知のことです。その会談で、こくたさんが、日本共産党の態度をきちんと説明し、“日朝の政府間の交渉を、すぐ開くべきだ、その交渉には何の前提条件もつけないで、必要な問題はそこにすべて出して、そこで話し合いをしようじゃないか”という提案をしたら、相手側の代表団長が「いい話を聞かせていただいた。それで道が開けると思います」という趣旨の発言をしました。私はそのいきさつを聞き、北朝鮮にも一定の理性的態度があることを感じたものでした。
みなさん、ここには非常に大事なことがあるんです。それまでの北朝鮮外交というと、政府間交渉がない時期には、自民党や社会党(社民党)が政府にかわって交渉に行ったのですが、だいたい相手の機嫌を損ねることは言わない、それからまたおみやげを持っていっては何か得ようとするといった交渉で、道理をもった交渉はやらないのです。これが今までの日本の対北朝鮮外交でした。
ところがこくたさんたちは、道理にあわないことは、相手がどう思おうがきっぱりとお断りする、ほめ言葉も書かない、そういう態度を貫いて、会談では堂々の発言をし、相手に敬意を表させたのです。
みなさん、こくたさんや緒方さんは、外交交渉というものはこうでなきゃいけないという手本を、みごとに示したんじゃないでしょうか。(拍手)
その時の会談で、来年から政府間の交渉を始めようということが決まりました。小泉さんが二〇〇二年九月、北朝鮮を訪問した時のあのピョンヤン宣言にまでつながってゆくわけです。一九九九年に道を開いた交渉が、拉致された人々がともかく帰ってくるところまで道を開いたのです。
日本共産党は野党ではあるが、国民的な利害のかかわる問題では、そういう役割を立派に果たしてきた。その先頭に立ってきたのがこくたさんだということを、私はみなさん方にご報告して、このこくたさんを、どうか京都の代表として国会に送っていただきたい(拍手)。京都一区でみなさんの代表として国会に送っていただきたい。そのことをまず最初に心からお願いするものであります。(拍手)
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