2020年5月3日(日)
じょっぱり小樽の悲鳴
自粛と補償のセットが願い
かつてニシンの水揚げ港として栄え、“北のウォール街”とも呼ばれた北海道経済の中心地、小樽市。繁栄を誇ったレトロな歴史的建造物が現存している街がいま、新型コロナ対策の強い外出自粛によって沈んでいます。負けず嫌いの“じょっぱり(頑固者)”の心意気が息づく小樽の人たちの思いは…。(北海道・土田浩一、名越正治)
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年間約800万人が訪れる有数の観光地。玄関口のJR小樽駅から小樽運河に向かう約1キロの6車線道路は日曜というのに、行きかう車はほとんどなく、1934年に造られた鉄骨鉄筋コンクリート製の駅舎がはっきりと見えます。小樽運河には、乗客でいっぱいになるはずの「運河クルーズ船」にブルーシートが掛かっています。
「小樽の経済は危機的状況です」とこう語気を強める小樽商工会議所の山﨑範夫専務理事。日韓関係の悪化で揺れた昨年来の韓国、今年に入ると中国や台湾などからの観光客がいなくなりました。
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1月から3月までの経済動向調査は、「良い」と回答した企業から「悪い」を引いた業況判断DIがマイナス41・8で、すべての業種でマイナスに。特に観光業は、調査開始で最悪のマイナス93・1を記録しました。
4月下旬、外資系ホテルが臨時休業に入り、「100%に近い減収」と悲鳴を上げる老舗ホテル関係者も。
山﨑専務理事は表情を曇らせます。「前年比7、8割の収入減は当たり前、9割減もある。コロナが収束し、観光客が戻ってくるまでの長期間を事業者が持ちこたえられるか。営業を守る上から、自粛と補償のセットが願いです」
“従業員の暮らし守る” 商店主の思い
自作ポスターで笑顔に
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ガラス工芸やオルゴール、洋菓子など北海道小樽市の有名店舗が軒を連ねる堺町通り商店街も多くが休業し、人通りが消えました。
冷たい雨が降る4月23日、日本共産党の畠山和也前衆院議員は党小樽市議団とともに商店街を訪れました。
市内にある5店舗のうち、堺町通りの本店のみで営業している昆布専門店「利尻屋みのや」の簑谷和臣(みのや・かずおみ)社長は「国内はもちろん、外国からの観光客が来なくなり、売り上げは95%減。市内の観光業は壊滅状態になっています」と話します。
力強く前向き
「状況は厳しいのひと言。我慢比べです。閉店や従業員を解雇する店舗もでています」と語る一方、「雇用さえ守ることができれば収束後に立ち直れる」と力を込める簑谷氏。休業中も、従業員の賃金3カ月分をまず補償する、暮らしを守る、と前を向きます。
従業員を大切にする思いは人一倍です。1月に母親が亡くなり、中国に帰国した若い従業員。日本への入国を阻まれていると、今度は父親が死去します。「彼にとっては失望の連続でした。少しでも元気づけられないかと給料を払っています」
観光商店街の青年部も務める簑谷氏は「暗い話しかないので明るくしていきたい」と青年部仲間とポスターを作成しました。真っ黒に日焼けした人力車の車夫や、菓子店の従業員たちが「元気です!空元気です!お客様来ないから もう笑うしかありません!ワッハッハー!」。店舗前で笑わせています。
小樽駅に近いサンモール一番街。商店街には幼稚園児らの絵や、石原裕次郎の映画ポスターとともに、明治、大正、昭和の小樽の写真が張ってあります。
指を差し、「うん、うん」と懐かしむ70代の男性。1970年代には、小樽運河の埋め立てで多くの市民が立ち上がり、一大保存運動に発展しました。
太鼓響かせる
今年7月に予定していた恒例の「おたる潮まつり」は安全・安心を確保するのが難しいと中止になりました。
まつりを盛り上げる「小樽潮太鼓」中心メンバーの笠島晴七さん(76)は釣り船仲間でつくる「愛潮会」会長も務めています。海を見つめて言います。
「明治から大正にかけてニシン漁全盛期に北前船に乗ってきたやん衆たちがたたいていたのが潮太鼓の始まりです。荒波に負けず、太鼓を響かせるその日まで、私たちの情熱をしまっておきます」