2020年11月15日(日)
任命拒否 滝川事件とそっくり
衆院法務委 藤野議員「言論弾圧の政治に未来ない」
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日本共産党の藤野保史議員は13日の衆院法務委員会で、菅義偉首相による学術会議の会員任命拒否について、戦前の「滝川事件」とそっくりだと指摘し、「任命拒否問題は国民全体の問題。強権で言論を弾圧する政治に未来はない」と主張しました。
滝川事件は、1933年、京都帝国大学の滝川幸辰教授を危険思想の持ち主として文部大臣が休職要求した弾圧事件です。
藤野氏は、滝川事件と任命拒否問題は三つの共通点を持つと主張しました。
(1)政府に批判的
第一の共通点は、政府の政策に批判的であったことです。藤野氏は滝川氏が「京都帝国大学新聞」に寄稿した「治安維持法を緊急勅令によって改正する必要?」を紹介。そこで滝川教授は、治安維持法は定義が曖昧で罪刑法定主義に反すること、刑が重すぎることなどを痛烈に批判していました。
一方で、学術会議で任命を拒否されたのは、憲法をじゅうりんする安保法制や共謀罪に反対した研究者です。
(2)戦争への反対
第二の共通点は、政府の攻撃の対象が戦争に反対する研究者・団体である点です。
滝川教授は、大学での軍事教練に反対し、日本の中国侵略である「満州事変」に反対し、ヒトラーがドイツで政権を獲得した際はヒトラーに反対する論文を書きました。藤野氏は「侵略戦争遂行に反対していた滝川教授は時の政府には邪魔で仕方ない存在だった。一方、戦争する国づくりを進める今の政権にとって『軍事研究をしない』など戦争目的の研究に協力しない学術会議は邪魔な存在。この点でも似ている」と指摘しました。
(3)解釈で正当化
第三の共通点は、法制局が法解釈で政府の行為を正当化していることです。
滝川事件当時の規定では「(大学の)総長は高等官(教授など)の進退に関しては文部大臣に具状(具体的な報告)する」とされていますが、滝川教授の処分は「具状」無しに行われました。ところが、滝川氏の処分を審議した帝国議会で政府は「全ての場合において大学総長の具状を要するとなすにあらず」(33年5月25日、文官高等分限委員会議事録)と述べて、違法行為を正当化しました。
一方、学術会議の任命拒否問題では、内閣法制局は、学術会議法のこれまでの解釈を国会にはからず勝手に変更して「必ずしも任命すべき義務があるとまでは言えない」として拒否を正当化しています。
藤野氏は「法制局が法の支配をねじ曲げて無理筋の解釈をするときは、『必ずしも必要ない』という似たような論法をとる」と指摘しました。
滝川事件のきっかけの一つは、滝川教授が罷免される3カ月前の宮沢裕議員の帝国議会での質問でした。宮沢氏は「(大学の)赤化教授に対する罷免を要求したい」と述べ、滝川教授について「国会の禄を食(は)んで(給与をもらって生活する)、教職について天下の青年を指導している」と批判しました。
今回の学術会議問題では、菅首相は人事介入の根拠の一つに「10億円の税金が学術会議に投入されている」ことを挙げています。「国から給料をもらっている者が、政府に盾ついていいのか」という論理も、学術会議問題と同じです。
天皇主権の明治憲法を「立憲主義的」に解釈し当時の学説の主流となっていた「天皇機関説」にかかわって法制局長官を事実上罷免された金森徳次郎は、戦後、憲法問題担当大臣となります。金森氏は、日本国憲法制定に関する国会審議(46年7月16日)で、自らの経験に基づいて「これ(学問の自由)は憲法に掲げ、大いに保障することは独り当然であるばかりではなく、実際的の必要性が多い」(帝国憲法改正案委員会議議事録)と主張しました。
藤野氏は、金森氏の発言について「『実際の必要』という金森の答弁は、今の学術会議問題をほうふつとさせる」と強調しました。
上川陽子法務相は「歴史に学ぶということは未来を考えるうえで極めて大事なこと」と答弁しました。