2021年2月11日(木)
主張
「建国記念の日」
学問の自由を守る決意新たに
きょう2月11日は「建国記念の日」です。1966年、当時の佐藤栄作内閣が広範な国民の反対を押し切って祝日法を改悪し、戦前の「紀元節」を復活させました。
「紀元節」自体に科学的・歴史的な根拠はありません。明治政府が1873年、天皇の専制支配を権威づけるために、天照大神の子孫とされる架空の人物・神武天皇が橿原宮で即位した日として「紀元節」をつくったのが経過です。
神話批判を禁じた戦前
戦前の日本では「学問の自由」は保障されず、天皇や皇室の歴史の研究、とくに日本古代史の実証的研究や「建国神話」の批判はタブーとされました。
1892年には久米邦武帝国大学教授の「神道は祭天の古俗」という論文が発禁処分をうけ、大学を追われる事件が起きました。
1940年には「古事記」「日本書紀」の神話や初期の天皇の記述を実証的に分析し、神武天皇から仲哀(ちゅうあい)天皇までの実在性に疑問を呈していた津田左右吉早稲田大学教授が、出版法26条の皇室の尊厳冒涜(ぼうとく)の容疑で起訴され、大学を辞職せざるを得なくなりました。
津田氏の著書が政府から発禁処分にされたのは、神武天皇即位から2600年という大キャンペーンの最中の「紀元節」の前日でした。天皇の神格化が「学問の自由」を乱暴に踏みにじった痛苦の歴史の象徴です。
「紀元節」は戦後、国民主権や思想・学問の自由、信教の自由と政教分離を定めた日本国憲法のもとで、1948年に廃止されました。自民党政権が「紀元節」を「建国記念の日」として復活させたのは、「学問の自由」を保障する23条をはじめ憲法にたいするあからさまな挑戦です。
菅義偉首相が昨年9月、日本学術会議の新会員6人を任命拒否したことが、憲法にも日本学術会議法にも反する暴挙として大問題になっています。のべ1千を超える学術団体や文化人、宗教者、ジャーナリスト、法曹界、市民団体などから抗議の声が上がりました。
上代文学会の抗議声明は「私たちは、かつて津田左右吉の『古事記』『日本書紀』研究が国家権力によって弾圧された経緯を熟知しています。『神武紀元二千六百年』の虚構性を暴露するものだったことが当時の国策に抵触したのでした」と指摘しています。
そのうえで「戦後の上代文学研究者は、日本史研究者とともに、津田の受難を二度と繰り返さないことが研究発展のために必須である」としてきたとのべ、「今般の措置は、私たちの研究者としての信条を踏みにじるものであり、自由闊達(かったつ)であるべき学問討究を萎縮へ導く暴挙」と批判しています。
精神的自由の圧殺許すな
菅政権は任命拒否の理由をまともに説明していません。しかし、任命拒否された6人が安保法制をはじめ自公政権の施策に異論をのべていたことは周知の事実です。政権の意に沿わない学者の排除は、戦前の「学問の自由」への弾圧を想起させます。それは国民の表現の自由、思想・良心の自由の圧殺に道をひらくものです。
日本学術会議への人事介入は、菅政権の強権政治の危険性を浮き彫りにしています。きょうを、菅政権の暴挙を許さず「学問の自由」を守る決意を新たにする日にしようではありませんか。