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2021年5月15日(土)

主張

沖縄本土復帰49年

「基地のない島」への扉開こう

 沖縄が1972年5月15日に本土に復帰してから49年です。言語に絶する凄惨(せいさん)な沖縄戦とそれに続く27年間もの苛酷な米軍統治を体験した沖縄県民が復帰に際して希求したのは、日本国憲法の下での基本的人権の保障と「基地のない平和な島」の実現でした。しかし、沖縄は来年、復帰半世紀を迎えようというのに、その願いとはかけ離れた状況に置かれたままです。

基本的人権の保障を願望

 復帰直前の71年11月、初の「琉球政府」公選主席となった屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏は、県民が求める復帰の姿を日本の政府と国会に伝えるため、「復帰措置に関する建議書」をまとめます。それは、米軍統治について「異民族による軍事優先政策の下で、(県民の)政治的諸権利がいちじるしく制限され、基本的人権すら侵害されてきた」と告発し、次のように訴えていました。

 「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません」「基地あるがゆえに起るさまざまの被害公害や、とり返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、…従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」

 しかし、同月、米軍の「銃剣とブルドーザー」によって強権的に拡張されてきた膨大な基地の継続使用を認める沖縄返還協定が衆院で強行可決され、「県民の気持ちと云(い)うのは全くへいり〈弊履(注・破れた履物)〉の様にふみにじられる」(『一条の光 屋良朝苗日記・下』)ことになりました。

 沖縄には今なお、全国の米軍専用基地面積の7割が集中し、県民は基地に起因するさまざまな被害に苦しめられています。復帰から昨年末までの米軍関係者の犯罪検挙件数は6068件で、うち殺人、強盗、強姦(ごうかん)などの凶悪犯は表に出ているだけで582件発生しています。同じ期間の米軍機事故は、49件もの墜落をはじめ部品落下や不時着など826件に上ります。

 95年9月には米兵による少女暴行事件が起こりました。県民の怒りが沸騰し、基地の縮小・撤去を求める島ぐるみの運動が空前の高まりをみせました。日米両政府は96年12月、沖縄の基地負担軽減策と称し、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告を発表します。しかし、その最大の目玉とされた普天間基地(宜野湾市)の「返還」は、県民の大多数が反対する名護市辺野古への「移設」=新基地建設を条件としたため25年たった今も実現していません。

 しかも、新基地の埋め立て予定海域に軟弱地盤が広がっていることが分かり、技術的にも実現が困難視されています。

戦没者の冒涜許されない

 政府は、沖縄戦の激戦地であり、復帰に伴い「沖縄戦跡国定公園」に指定された本島南部から、新基地建設のための埋め立て土砂を調達しようとしています。県内では「沖縄戦犠牲者の遺骨が混じる土砂を軍事基地の建設のために使うのは許せない」「戦没者への冒涜(ぼうとく)だ」と批判が上がっています。

 菅義偉首相は官房長官時代、沖縄の苦難の歴史を「分からない」と言い放ったことがあります。新基地建設に固執し、県民の願いに背を向ける菅・自公政権を終わらせなければなりません。来たる総選挙は、その絶好の機会です。


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