2000年4月13日
核もちこみの密約問題については、これまで、クエスチョンタイムと代表質問でとりあげてきました。今日は、前から約束していたように、密約そのもの全文を記載したアメリカの文書を、政府の額賀官房副長官に手渡し、”同じ文書の写しが外務省にあるはずだから、次のクエスチョンタイムまでに、その有無について明確に調べておく”ように、申し入れてきました。
この密約全文は、一九六六年にアメリカの国務省と国防総省安全保障担当が共同でつくった報告書にふくまれていました。その報告書は、アメリカの国立公文書館にあった「米陸軍参謀部資料」の一部ですが、密約の内容は、私たちが追及してきた核もちこみについての秘密取り決めそのものです。
最初のクエスチョンタイムで、一九六〇年一月六日、マッカーサー大使が、安保条約についての最後の交渉を終えて、国務長官に送った報告電報を、小渕首相に渡しました。その電報には、今日、藤山外相と三つの秘密取り決めに頭文字署名をしあったとあり、その最初に、「協議方式にかんする討論記録」があげられていましたが、「相互協力および安全保障条約 討論記録」と題するこの文書は、まさにそこで報告された「討論記録」そのものです。
取り決めの内容は、二項目からなっていて、第一項目は、いわゆる「岸・ハーター交換公文」です。政府は、”ここで事前協議について決めているから、事前協議なしの核もちこみはありえない”といいますが、大事なのは第二項で、ここで「同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された」として、事前協議の運用の内容を、A、B、C、Dの四点にわたって具体的に規定しています。
核兵器の問題にかかわるのは(A)と(C)で、まず(A)で、事前協議の対象となるのは、核兵器などの日本への持ち込み(イントロダクション)とその基地の建設だと、限定しています。そして(C)で、「事前協議」は、合衆国の軍用機の飛来(エントリー)や艦船の港湾への立ち入り(エントリー)は、現行の手続きに影響をあたえるものでない、と明記しています。「事前協議」というのは、六〇年安保ではじめてできた手続きで、六〇年までの旧安保には、そんな取り決めはなかったのですから、「現行の手続き」でゆくとは、事前協議なしということ、つまり、軍用機の飛来も艦船の立ち入りもアメリカは自由にやってよい、ということです。
こうして、一九六〇年一月に、事前協議の制度はあっても、「立ち入り」は別だと決めたのが、「討論記録」という名前での秘密協定でした。それを、政府は、この四十年間、国民にかくしつづけてきたのです。
この秘密協定には、米軍が日本から戦闘作戦行動に発進する問題でも、重大な秘密取り決めがふくまれていますが、今日の解説は、核問題にしぼります。
なお、第二回目のクエスチョンタイムのとき、私は、一九六三年四月、ライシャワー大使が大平外相と会談して、艦船の寄港の場合には、核兵器を積んでいても事前協議の対象にはならないという点で、意思統一しあったという文書を、首相に渡しました。その文書のなかで、ライシャワー大使は、「秘密の『討論記録』の2A項と2C項の英文テキスト」を二人で検討した、と述べていますが、それが、いま見た(A)と(C)です。ライシャワー・大平会談では、まさにこの「討論記録」が検討されたのです。
私は、一九六〇年に現行安保条約ができてからの日米関係では、この秘密取り決めが、核兵器にかんするもっとも大事な取り決めとされ、すべてがこれによって支配されてきたことは、明りょうだと思います。
そのことは、この密約全文が記載されていた報告書にも示されています。この報告書というのは、一九六六年に、沖縄の施政権返還が問題になりはじめたときのものです。当時、アメリカ側では、施政権の返還が、沖縄を拠点にしたアメリカの軍事活動にどんな影響をあたえるかの全面的な研究をおこなうことが決められました。そのテーマの一つに「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」というものがあったのです。つまり、日本の本土で米軍がもっている条約上の権利を沖縄にそのまま適用したら、不都合が起きるかどうかを調べようということでした。そのさい、この問題を検討する最大の基準とされたのが、「事前協議」にかかわるこの秘密協定でした。ですから、この報告書には、秘密協定の全文が収録されているのをはじめ、その内容や解釈の問題が、非常に詳細に説明されているのです。
大事な点のいくつかをあげておきます。
(一)なぜ「討論記録」という形にしたのかについて、報告書は、アメリカとしては、秘密の交換公文にしたかったのだが、日本政府が、「いかなる秘密取り決めの存在も否定できるようにするために」この形式を望んだと、書いています。だから、名前は「討論記録」でも、実質は、交換公文なみの内容となっているのです。
(二)また、この報告書は、一九六〇年の安保改定にあたってのアメリカの意図について、核兵器を積んだ軍艦や飛行機が自由に出入りする権利を絶対に守るというところに、主眼の一つがあった、それを保障し、同時に日本政府も受け入れやすい「言い回し」を研究して、この文章になった、と書いています。そして「日本側は、以下の通りの討論記録の言い回しを受け入れた」ということを、とくに強調しています。
(三)報告書が、「核兵器積載の米艦船が日本の港湾に寄港する慣行は一九六〇年以前に確立されたものだった」と書いているのも、重大な点です。前に発表した一九六三年のケネディ大統領招集の会議の記録のなかで、あるアメリカの提督が「一九五〇年代の早い時期から核兵器は通常、日本の港湾に寄港している空母の艦上に積載されてきた」と発言していましたが、報告書のこの記述は、その発言とも合致するものです。
(四)また、報告書は、一九六三年のライシャワー・大平会談を非常に高く評価していて、それまでは多少あいまいな点の残っていた核艦船などの「立ち寄り」の権利が、より明確に確立されたと位置付けています。つまり、「討論記録」より、もう一歩踏み込んだ合意をかちとった、という評価です。
「日本を通過する艦船や航空機に積載された核兵器の一時立ち寄りには協議取り決め〔事前協議〕は適用されないとする合衆国の立場が、『討論記録』の言い回しや、一貫した米側の実践、日本政府の一九六三年とそれ以降の的確な理解によって、正当なものとされている」。
以上が、この文書が示す主な内容ですが、秘密協定の全文が、米側文書で明らかになったことは非常に重大だと思います。これはけっして過去の歴史問題ではありません。アメリカは、いまは、艦船や航空機に、日常の体制としては核兵器をもたせない体制をとっているといいますが、核戦略を放棄しているわけではありません。現在も核戦略を強固に堅持しており、その発動を必要とする事態が生まれたら、アメリカの艦船や飛行機は核兵器を積んで行動することになります。そのとき、核兵器を積んだ艦船や飛行機が日本に自由に出入りできるしくみが、この秘密協定によっていまなお存在し、そういう意味で、被爆国・日本が現在も核戦争の拠点となっているということが重大です。
そして、なによりも許せないのは、日本政府が四十年にわたって国民をだまして、核兵器もちこみのこの体制をつくってきたことにあります。
こういう問題として、真相の解明と「核もちこみ」体制の一掃のために、全力をつくすつもりです。
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