2012年3月2日(金)
「核兵器・原発なくしたい」
静岡・焼津 ビキニデー集会開く
米国が1954年にビキニ環礁で行った水爆実験から58年の1日、被災漁船「第五福竜丸」の母港、静岡県焼津市で「3・1ビキニデー集会」が開かれました。核兵器廃絶、福島原発事故被害の根絶と原発からの撤退などを掲げて、草の根で行動を広げるアピールを採択しました。
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原水爆禁止世界大会実行委員会と静岡県実行委員会の主催で、約1800人が参加。集会に先立ち、墓参行進(日本宗教者平和協議会など主催)しました。
第五福竜丸の乗組員として被災した大石又七さん(78)が証言し、「核兵器も原発も人間とは共存できない。今こそ力をあわせてなくしたい」と訴え。静岡県母親大会連絡会の粕谷たか子会長が「浜岡原発の廃炉までたたかう」とこぶしをあげ、女性や宗教者、青年たちが核兵器の全面禁止へ、署名や原爆展などのとりくみを発言しました。
静岡県実行委員会代表委員で県原水爆被害者の会の川本司郎会長があいさつし、「核兵器全面禁止の声は世界の国民、政府の共通の声に広がっている」とのべ、この声をさらに広げようと提起。来賓の清水泰・焼津市長は、ビキニ事件当時も現在の福島同様に風評被害などがあり、核の恐怖が世界的な平和運動の契機になったとし、「私たちは今一度、ビキニ事件を胸に刻まなければならない」とのべました。
世界大会実行委員会議長団の安斎育郎氏が講演し「広島・長崎、ビキニ、福島の核被害を体験した私たちが歴史を切り開く力を発揮しなければならない」と訴えました。
福島県原水協の庄司正樹さん(24)は初参加。震災後も月2回ほど、JR福島駅前で署名を集めてきました。「放射能をはねのけるぐらいの気概で、頑張りたい」と話していました。