2012年8月6日(月)
“再び被爆者つくらない”
日本被団協が広島で集会
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日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は5日、広島市内で「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!」と題して、被爆70年を3年後に控え、なぜ被爆者は国に原爆被害に対する償いを求めるのかを考える集会を開きました。被爆体験に聞き入る若い人の姿が目立つなど、130人が参加しました。
被爆者は核兵器廃絶と国の補償を求めてきましたが、国は補償をこばんでいます。
広島で被爆した2人の被爆者が証言。15歳で被爆した男性=広島県=は、せん光と爆風に襲われた被爆の瞬間を語り、「核兵器の撤廃を強く求めたい」と訴えました。
8歳で被爆した女性=宮城県=は、被爆から3日後に亡くなった父親を語り、「被爆者が語ることを引き継いでほしい」と呼びかけました。
2歳のとき広島で被爆し両親を亡くした男性=神奈川県=が原爆孤児の苦労を話し、「なにもしてくれなかった国の責任だ」と告発しました。
岩佐幹三代表委員が、母親を見捨てて逃げた痛苦の体験を語り、その後12年間にわたって被爆者が国からなんの援護も受けられずにきた歴史を振り返りました。田中熙巳事務局長が、日本被団協結成以来56年間の運動を紹介しました。
被爆者援護法の改正を求める請願署名が13万6000人、国会議員の賛同が54人、14の地方議会で意見書が可決されたことが報告されました。
会場からは、「被爆者援護法の改正に向けて私たち青年はなにをしたらいいか」との質問が寄せられ、交流しました。