2012年8月15日(水)
主張
終戦67年
戦争の惨害繰り返さぬために
アジア・太平洋戦争が日本の敗戦によって終結した1945年から67年を迎えます。8月15日はアメリカ、イギリスなど連合国が日本に降伏条件として求めた、ポツダム宣言受諾の発表の日です。
戦争を体験した世代は高齢化し、戦争を体験しない、「戦後生まれ」世代が国民の大半です。それだけになおのこと、敗戦まで15年かかった無謀な戦争の悲惨さを思い起こし、二度と侵略戦争と植民地支配の誤りを許さない、決意を新たにすることが重要です。
失われなくてもよい命が
戦争は、31年の、当時「満州」と呼ばれた中国東北地方への侵略に始まり、37年からの日中全面戦争、41年からの東南アジアや太平洋地域への戦争の拡大と、15年にわたりました。2000万人を超すアジア・太平洋地域の人々を犠牲にしたことは、侵略戦争の悲惨さを浮き彫りにするものです。朝鮮や中国など日本が植民地として支配した人たちも徴兵や強制労働、あるいは日本軍「慰安婦」として駆り出され犠牲になりました。
310万人以上の日本国民の犠牲者は、軍人・軍属ばかりでなく、大都市をねらった無差別爆撃や非人道的な原爆投下によって生命や財産を奪われた、多くの一般市民も含まれます。とりわけ戦争末期の44、45年に当時の天皇制政府の周辺からも「終結」の声が上がったのに、天皇自身が「もう一度戦果を挙げてから」と発言したなどの理由で降伏が遅れ、東京など各地の大空襲や沖縄での地上戦、広島と長崎への原爆投下など、失われなくてもよい多くの人命が失われたことは見過ごしにできない事実です。戦争を推進した、当時の指導者の責任は重大です。
日本共産党は15年戦争の始まる前から侵略戦争の企てに反対し、命がけでたたかいました。戦争が激化するとともに度重なる弾圧で組織的な活動は不可能にされましたが、獄中や国外で党のたたかいは続きました。また心ある人々も戦争への抵抗を続けました。
日本が受諾したポツダム宣言には「日本国民を欺瞞(ぎまん)し之(これ)をして世界征服の挙に出(い)ずるの過誤を犯さしめたる者」の権力と勢力を取り除くことが明記されています。戦後、46年に公布された日本国憲法は前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを高らかにうたいました。侵略戦争と植民地支配に反対した日本共産党と国民のたたかいは、戦後に生きたのです。
民主主義と平和主義守り
なぜ無謀な戦争をとめることができなかったか。天皇絶対の専制政治が国民の自由な発言を認めず、治安維持法や特高警察など世界にもまれな弾圧体制を強いて戦争反対を封じ込めたためです。そのもとで日本共産党以外の政党は解散して戦争遂行のための「大政翼賛会」に参加し、新聞・放送なども戦争を賛美・翼賛しました。
自民党政権で閣僚も務めたある政治家は軍部の暴走とともに「世論本位の政治を行わざりしこと」を原因にあげます(永野護『敗戦真相記』)。民主主義と平和主義は、専制主義と軍国主義の対極です。
国民の意思を踏みにじる「二大政党」の悪政が政治不信を広げ、大新聞などの異常な翼賛報道が氾濫(はんらん)している今日、この教訓に注目することはひときわ重要になっているのではないでしょうか。