2012年9月21日(金)
主張
「原発ゼロ」決定せず
やはり口先だけのことなのか
野田佳彦政権が「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」と盛り込んだ「エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送りました。
野田政権の「原発稼働ゼロ」は、目標の期限も行程も明示しない不確かなものです。それでさえ財界は猛反発し、アメリカなどからも懸念が相次いでいました。閣議決定見送りは、野田政権に本気で「原発ゼロ」を実現する立場がなく、財界とアメリカのいいなりなことを浮き彫りにするものです。
“画に描いた餅”認める
野田政権が先週の「エネルギー・環境戦略会議」でまとめた「戦略」は、「原発稼働ゼロ」のため「40年運転制限制の厳格な適用」「原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ、再稼働」「新設・増設は行わない」―を原則に掲げています。停止中の原発再稼働を認めていることだけでも、「原発ゼロ」を真剣に追求する立場とは程遠いことは明らかです。
そのうえ政府が「戦略」をまとめた直後、枝野幸男経済産業相は建設中の電源開発大間原発(青森県)などの建設継続を表明しました。現在建設中の原発は、大間原発のほか、中国電力の島根原発3号機、東京電力の東通原発1号機(青森県)があります。これから稼働する原発を認めれば、原発の寿命を40年に制限しても30年代末まで「原発ゼロ」は実現しません。枝野氏の発言は、“画(え)に描いた餅”だと認めたのも同然です。
「戦略」がうたう「40年制限制の厳格な適用」というのもあやしい限りです。現在国内にある50基の原発のうち、日本原電敦賀1号機(福井県)と関西電力美浜1、2号機(同)はいずれも40年を超えています。「40年制限」をいうなら政府は廃炉の計画を具体的に示すべきです。
しかも「40年制限」だけでは政府が目標に掲げる30年代末になっても原発はなくなりません。新増設がなくても東北電力女川原発3号機(宮城県)など5基の原発が40年代になっても残る計算です。「原発ゼロ」のためには40年を待たず撤退の決断が不可欠です。
野田政権の「エネルギー・環境戦略」が、「原発ゼロ」を掲げながら、使用済みの核燃料を再処理し、プルトニウムなどを取り出す核燃料サイクルの計画を続けるとしているのも重大な矛盾です。原発の運転を続ければ危険な使用済みの核燃料がたまりますが、再処理の計画も、再処理で取り出したプルトニウムを新たな燃料として利用する高速増殖炉「もんじゅ」の計画もうまくいっていません。核燃料サイクルを続ければ、原爆の材料にもなる危険なプルトニウムが増え続けるだけです。
国民無視の「原子力ムラ」
こんな不十分な野田政権の「エネルギー・環境戦略」でさえ、日本経団連、経済同友会、日本商工会議所のトップがそろって記者会見するなど、異常な圧力で閣議決定を見送らせた「原子力ムラ」の責任は重大です。国民の安全も日本の将来も無視したものです。
東日本大震災で被災した東京電力福島原発のように、世界でも有数の地震と火山の国、日本で原発が被害を受ければ、取り返しのつかない大災害になります。政府は「原発ゼロ」を後退させるのではなく、直ちに原発からの撤退を決断すべきであり、核燃料サイクルも中止すべきです。