2012年10月29日(月)
核密約「防衛長官就任時知った」
中曽根元首相が証言
中曽根康弘元首相(94)が、米軍が日本に核兵器を持ち込むことを容認した日米核密約について、「防衛庁長官になって知った」と新著で証言しました。
外務省が2010年3月に公開した外交文書により、外務官僚が歴代首相や外相に密約を引き継いでいたことが明らかにされていました。中曽根氏も首相就任時の1983年1月に引き継ぎを受けていましたが、それより早い70年の防衛庁長官就任時に知っていたことになります。密約の説明を受けた当事者による証言は初めて。
研究者7人からの聞き取りで構成される『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社)で、聞き手の一人は、「中曽根先生は二〇〇九年七月一九日号の『サンデー毎日』で不破哲三氏と対談し、アメリカが日本に寄港する際に、わざわざ核を下ろさないだろうと発言しています」と前置きした上で、核艦船の領海、港湾への寄港(トランジット)の密約について質問しました。
中曽根氏は「トランジットの場合は事前協議の対象外というのは知っていました」「防衛庁長官になって知ったと言ってよいです。このことはおそらく、役所の連中から聞いたのではないかな。聞いたときは、『ああ、そうか』という程度だね」と語り、「核政策の継承については、首相官邸ではなく、外務省主導でした」と証言しています。
「日米核密約」とは、日本に寄港・飛来する米艦船や航空機の核兵器搭載について、「装備における重要な変更」の際に行うとされる「事前協議」の対象外にしたもの。60年1月の日米安保条約改定の際、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が「討論記録」という形式で署名しました。2000年の国会審議で日本共産党の不破委員長(当時)が「討論記録」の存在を暴露しました。
10年3月9日に政府が公表した外務省調査結果と有識者委員会の報告書は、「討論記録」の存在を認めながら、「暗黙の合意」で「明確な合意ではない」などと核持ち込みの密約だったことを否定しています。
中曽根氏の証言は、核持ち込み密約が「暗黙の合意」などではなかったことを示すものです。