2013年8月10日(土)
被爆68年の長崎
被爆政府がなぜ署名拒否
式典で被爆者代表 築城昭平さん
|
9日の長崎平和式典で、被爆者代表の築城昭平(ついき・しょうへい)さん(86)が「平和への誓い」を読み上げました。その思いとは。要旨を紹介します。
当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロの寮に戻ってきたのが午前7時ごろでした。
バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついたときには部屋の壁に打ちつけられていました。左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていました。
2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次つぎと亡くなっていく話を聞くと、恐怖の中で死を覚悟したものでした。
今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。
わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。それなのに、先に開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。
世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原子力発電所の事故で、多くの放射線被ばく者がつくりだされ、原発が決して安全ではないことが改めて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を輸出しようとしています。
ヒロシマ・ナガサキ、フクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。
そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、被爆者、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。
核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべてのおとなの責任です。